寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
201705<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201707
TVアニメ ステラ女学院高等科C3部 まるごと感想
ステラ

 サバゲーという珍しい要素を題材(?)にしていた部活アニメ。私の中にも、そして色んなアニメファンの中にも、ひとつのもやもやした感情を残していったことでしょう。その疑問に近い煮え切らない感情を、そのままにはしておけなかったので、徹底的に研究してみて、この作品はどういう作品で、何を伝えたかったのか、考えてみようと思いました。「製作者の自己満足」で片付けることも可能ですが、そういう思考停止みたいなのが嫌なので。
 それに、わかりやすく面白い、いわゆる視聴者との「コミュニケーション上手」な作品も好きですが、この作品のようにちょっとわかりにくく、視聴者との「コミュニケーションが下手」な作品は、その意志や意図を、つい汲み取ってあげようと思っちゃいますね・・・。

 ※個人的解釈による偏見にまみれた感想(しかも自分用)になると思うので、読む際は注意してください。

【概要】
 引っ込み思案だった主人公ゆらが、高校でサバゲー部(C3部)に出会い、自分を変えていく・・・というほどわかりやすい話でもなければ、前向きな話でもありません。でも、単純明快に表現するなら、そういうお話ということで問題ないでしょう。

【大和ゆらという主人公】
 まず、何者にも優先して語るべきは、主人公ゆらの存在でしょう。
 途中で断髪し、そのときから考え方も変わってきたことで、色々と波紋を呼びましたが、彼女こそこのアニメに欠かせない存在ですし、彼女を理解することこそ、このアニメを理解することに繋がると思います。

 ゆらは初期(入学当初)は髪が長く、答えに窮するときや困ったときは、よくいじっていました。それは、いわゆる弱さであり、髪の毛をいじることで、何かにすがって、助けを求めていたのかもしれません。そういう救助信号的な動作をするほど、彼女は弱い存在だったんですね。

ステラ05ステラ02
 しかし、だからといって、単純な「小動物系」とカテゴライズするほど、弱々しい心は持っていないようで、むしろお調子者というか、都合がいいというか、けっこう自分勝手な存在でもある、ということを理解するのが重要でしょう。
 入寮することになった部屋をあさって、勝手にミリタリー映画ごっこに興じたり、部員たちが「ゆららちゃん」や「ゆら公」と色んな名前で呼んだときは、心の中で彼女たちを軽蔑するようなことを言っています。
 大和ゆらの性格は、気弱で後ろ向きな上に根暗。そういうところまで理解しておく必要があるでしょう。

【そのら部長はおっさん社員?】
 ゆらちゃんの境遇や周囲の人たちを見ていて、「新人研修」みたいだなぁという印象が第一にありました。ゆらちゃんを歓迎しているものの、扱いあぐねているというか、教育しそこなっているというか。

 そんな中、一番ゆらちゃんを牽引したであろうそのら部長の振る舞いは、いわばおっさん社員。射撃特訓のときに「握らずに握る・・・」など、よくわからない難しい話をしたり、「色んな楽しみ方があるんだ」とわかっている風なことを言ったりしていたところからも、よくわかります。

ステラ21
 もちろん、親身に話してくれる相手ですし、なんとなく含蓄ある言葉ばかりなので、彼女の言葉にはゆらちゃんを動かす力があると思います。しかし、「色んな楽しみ方がある」と結論を出している以上、ゆらちゃんに多くを語れないということ、そして、そもそもそこまで精力的にゆらちゃんを育てようなどと思っていなかったことが、彼女の罪といえば罪でしょう。
 いえ、この作品で責任を追求しはじめると、全員に責任があったようになってしまうので、けっきょく、不運や対応の悪さが重なっただけで、誰にも責任はなかったのでしょうけど。

 ゆらちゃんなりの楽しみ方を自力で見つけてもらいたかったのかもしれませんが、ゆらちゃんはそもそも人との関わり方もよくわかっていない段階の人なので、そんな彼女がサバゲーに触れてしまったことで、大火傷してしまったという感じ。最低限の思いやりやコミュニケーション能力がなければ、その「色んな楽しみ方」を模索するレベルには到達できないし、できちゃいけないということでしょう。
 普通なら最低限のコミュニケーション能力があるはずなので、サバゲーに触れたところで、ゆらちゃんのようにはならなかったはず。でも、この件で誰も責められないのが、この構造のやるせなさともどかしさです。ある意味、「そんなにうまくいかない」という現実感はあるかもしれません。

【凛はプレイヤー、ゆらはソルジャー】
ステラ22
 ライバルとして登場した凛さん。彼女のプレイスタイルはさておくとして、彼女のチームに追い詰められて降参してしまったことで、また、その後そのら部長から叱責(凛さんからは罵り)をうけ、ゆらちゃんはひとつのふんぎりをつけます。それは、断髪して真剣にサバゲーに打ち込む、ということでした。

 しかし、これが最初の不幸というか、ゆらちゃんの最初の暴走。周りのみんなも、気づけないかもしれないけど気づいてあげてほしかった。
 好意的に見れば前向きで熱意ある行動ですが、常識的に見ればちょっとおかしいです。髪を結わえるだけでいいといっていたのに、髪を切ってしまったことからも、彼女の本気度が、度を越えているというか、常軌を逸していることがわかると思います。そういう子だから、その後も悪い方へ進んでしまうんでしょうね。

 凛さんの言葉は、ゆらちゃんをある方向(ソルジャー)に進める効果はテキメンでしたが、凛さんとしては、「真剣にサバゲーをやれ」というニュアンスだったはずで、何も「人生をかけてやれ」とまでは言っていないのです。ゆらちゃんには「プレイヤー」になってほしかったはず。
 髪を切る行為は、人生とは言わずとも自分の体の一部を削っている行為ですし、ゆらちゃんは言葉以上に重く受け取ってしまっているのが厄介なところであり、その面倒くさい思考回路は、多くの視聴者が同情できずに不快感を持ったことでしょう。それでも私は、かわいそうで同情してしまいますが。
 コミュニケーション不全な子がいたとして、そういう性格になってしまった理由は必ずあるはずですし、それを鬱陶しいという言葉で切り捨てられるほど、冷酷なことを私は考えられません。

ステラ14
 後半、凛さんのチームに入るゆらちゃん。ゆらちゃんとしては願ったり叶ったりだったでしょうし、スキルもグングンあがっていきましたが、彼女のプレイスタイルは、自分一人しか楽しんでいませんでした。そのら部長いわく、楽しみ方は自由のはずですが、それを周囲に押し付けているのが、ゆらちゃんのやり方のダメな部分でしょうね。押し付けたことで、他の人たちの「自由な楽しみ方」を阻害しちゃってました。それはやっちゃいけないことだと、伝えていたつもりだったのでしょうけど、あいにくゆらちゃんには伝わっていなかった、と。

ステラ25
 いや、そもそもこの時点のゆらちゃんは、もはや自分の居場所のためにサバゲーをやっていて、サバゲーを楽しんでいたとは言えないかもしれません。
 凛さんがそれを指摘してくれて、やっとゆらちゃんは自分の過ちに気づけましたし、やっとソルジャーからプレイヤーになれたんじゃないかと思います。
 しかし、それは同時に、今までやってきたことの否定になりますし、すでに歴戦のソルジャー(しかも自分本意)になっちゃっていたゆらちゃんの居場所の喪失をあらわしていました。

【長次郎と幻想空間】
ステラ09
 本格的に射撃練習がはじまったとき、ゆらちゃんが出あったのはヒトガミの長次郎。彼が登場したことで、この作品はさらに難解を極めた節がありますが、その演出も感覚的な感想で済ませず、ちゃんと考えてみます。

ステラ03
 ゆらちゃんはもともと妄想癖があり、ことあるごとに、夢の空間をつくりあげていました。長次郎が神様ということはとりあえず事実として、彼から干渉してくる形で、二人は邂逅しました。ゆらちゃんの妄想癖はイメージの具現化に近いもので、、長次郎の空間と共振することで、現実を改変できるほどの力を持ったと考えられます。まぁ突飛ではありますが、神様とゆらちゃんの世界がまじりあっているとしたら、考えられない話ではありません。神様の力を一時的に借りていた、とでも言うべきでしょうか。

ステラ10
 れんとちゃんが神社で空間の変貌を目の当たりにしましたが、これは現実が変わっていたというよりは、「空気」が変わっていたのではないでしょうか。心霊スポットで心なしか空気が冷たく感じるようなアレです。
 司令塔やゲームメーカー、一流アーティストが「空間を支配する」ように、ここでの「世界をつくる」というのは、空間を支配する、または好きな空間にする、といった意味合いがあるのでしょう。

 居場所がなくなり彷徨するゆらちゃんを招いた長次郎は、再び、二人の力で現実を変えてみせます。そして、自分が自分を認めればいい、という言葉どおり、ゆらちゃんは自分を認めます。このあたりは長次郎の罪滅ぼしというか、フォローを感じましたね。彼との共振がゆらちゃんのサバゲーへの接し方を決めたことは事実ですし、その結果が無残なものでしたから、それが見ていられない、という感じで。
 そのフォローをうけ、ゆらちゃんは自分の空間は自分で作るとばかりに、気まずいはずのC3部へと意を決して戻ります。

【サバゲーという題材】
 サバゲーはコミュニケーションが大事、というのを、コミュニケーション下手な主人公で語る、というテーマ自体は悪くありませんでした。しかし、その悪例のような話をしてしまったことは、視聴者にとっては爽快感も楽しさもなく、ストレスがたまる一方だったのは否めません。

 あえて王道を外したかったのかもしれませんが、サバゲーという貴重な題材の先駆者でもあったわけですし、原作と内容を変えることが決まっていたとしても、いわゆる「廃部回避」「廃校回避」「部員勧誘」「部費獲得」「大会優勝」などの要素を、もっと明るくスポーティに描くことができたと思います。その最初の舵取りから、失敗してしまった印象。最初の一歩を間違えたなんて、まるでゆらちゃんみたいですが。

 まぁ、見ていると、「あえて」そういう方向に進まなかった、平穏で青春極まりない部活モノへのアンチテーゼを感じましたが、それならそれで、面白く仕上げないと、メッセージが伝わらないという本末転倒が起こってしまいます。友人関係がうまくいかずギスギスしていくのも、ある意味では青春なんですがね。
 それならすれ違いやギスギスを、後のカタルシス含めて面白く描くことはできたはずです。でも、そういう仲違いって茶番っぽさも出て、難しいんですよね・・・。喧嘩やすれ違いをひとつの要素ではなくメインテーマとしている作品を、私は他に知りません。
 サバゲーとコミュニケーションという要素はよかったのですが・・・。

【わかりやすさと因果】
 仮に、題材(サバゲー)もいい、方向性(すれ違い)もいい、とした場合、何が悪かったかと言えば、私は「わかりやすさ」だと思います。

 出来事や現象には、「原因」と「結果」がつきまといます。部費がないから文化祭で稼ぐ、BB弾がないから大会で優勝する、というように。
 しかし、キャラクターの心情や行動原理については、この「因果」がうまくできていなかった、仮にできていたとしても、視聴していて理解しにくかった、というのが最大の汚点ではないでしょうか。

ステラ06
 ゆらちゃんがなぜ、C3部に入ろうと思ったのか。ゆらちゃんがなぜ、髪を切ろうと思ったのか。長次郎と出会って何を思ったか。ゆらちゃんは凛さんのことをどう思っていたのか。ゆらちゃんは何を思ってC3部を出ていったか。幻覚が見えていたゆらちゃんはどういう精神状態だったのか。妄想による現実干渉はどのような演出なのか・・・などなど、一見してわかりにくいシーンが非常に多かった印象。

ステラ18
 因果(原因と結果)をボカすことで、何か起こったとき(結果)に、それが突然やってきたように思えて、視聴者をサプライズさせることができます。しかし、それが何度もやってくると、すべての展開が唐突に思えてきて、もう何がなんだかわからなくなっちゃいます。そういう印象を視聴者に植え付けてしまったことも事実でしょう。

 因果がボカされていると、そこを視聴者は自分の推測などで補完しなければならず、作品によっては、その推測が無限の広がりを見せて効果的に働くこともありますが、基本的にはそこを「わかりやすく」してやる必要があります。人気の作品などは、往々にして因果が「わかりやすく」なっていますから、そこさえしっかりすれば、まだこの方向性でもファンが増えたと思うのですがね。現実干渉などの演出も、難解さに拍車をかけている感じがありました。

ステラ23
 妄想はたびたび登場しましたが、現実干渉が登場したのは三回。長次郎と初めて会ったときの歴史改変、二回目に会ったときの雨雲消滅、そして最後のお別れサバゲーのときにやった参加者召喚です。
 長次郎がやったことは、それこそ神業のような類でしょうし、長次郎と共振していたときのゆらちゃんの歴史改変も、長次郎がいたからこそですが、お別れサバゲーのときは完全にゆらちゃん一人の力でした。だから、これもイメージ映像で、現実的に考えれば、「ゆらちゃんが全校生徒にサバゲー参加をお願いした」という描写だと思います。部長のところへ行く前に、事前にお願いして回っていたんじゃないでしょうか。

 これにより、お別れサバゲーでかつての楽しい日常を取り戻し、さらにそのら部長の「弾を使い切りたい」という願いまで叶えました。そういう因果関係がしっかりとわかりやすく描かれていれば、その行動や心理に、共感したり感激したりできるのですが・・・そういうアニメ側からの働きかけが少なかったようで、悪く言えば「不親切」だったのが、この作品の根本だと思います。

【総括】
 サバゲー題材、コミュニケーションというテーマ、それに翻弄される主人公、世界(空間)をつくりあげる力・・・コンセプトレベルでは、全然問題ないように思います。しかし、視聴者との価値観や認識のズレが起こるだけで、これほどの悪評と印象の悪さを与えてしまうという、かなり珍しい悪例となってしまった感じです。

ステラ19
 一応ハッピーエンドで終わりましたし、他人に声をかけられるようになったというゆらちゃんの成長も見られました。実はストーリーの骨子だけを抜き出して見れば、意外とわかりやすい構造だったはずなんです。

「フィールドでは絶対、ゴーグルを外さないこと」
「セーフティゾーンに戻るときは、必ずマガジンを外し、セーフティをかけること」
「当たったら正直にヒットコールして、フィールドから退場すること」
「あとは各々、思いっきり楽しむこと」


 そう。12話に登場した言葉ですが、伝えたかったことは、たったこれだけ。端的に言えば「ルールとマナーを守って正しくサバゲー!」でしょう(某デュエル風に)。
 しかし、それを伝えるためには、真逆の展開をしないと語れません。それが、因果がわかりにくくなった結果、これだけ真意が伝わりにくくなるものかと、研究のために何度も見ているうちに思いましたね。逆に言えば、私くらい何度も見ないと(各話につき3、4回くらいですが)、納得のいく本筋は見えてこないと思います。

 作者というのは、作品に対しては神のような立場で、すべてを把握している存在なので、ついつい「わかりやすさ」の配慮を忘れてしまうことがあります。なまじプロの方のお仕事なので、そんなことはなく、ちゃんと計算した上での脚本だったと思いますが、それがこのような結果を出した以上、やはり「視聴者目線」という部分をおろそかにしていたのではないでしょうか。

 刹那的に消費されていき、なおかつストレスフリーな作品ほどウケやすいアニメ業界で、これほど時間をかけて理解が必要な作品は、やはり視聴者にとって不親切だったと言わざるを得ません。しかし、だからこそ私が興味を持ったことは事実ですし、苦労はしましたが、ただ批判するだけよりはよっぽど有意義だったと思います。こういう展開じゃなかったら、凡百な作品として、普通に楽しんで普通に消化しちゃってたかもしれませんから、そういう意味では、この出会いに感謝です。

 否定する、というのは対象をよく知らなくてもできますが、賞賛する、というのはその対象をよく理解しなくてはいけません。それができただけでもよかったですし、その作業を通じて、結果的にこの作品が好きになれたような気がします。そういう副産物もありましたし、それらも含めて、感想を書いてよかったと思いました。
 客観的感想を書こうと思っていて好きになっちゃったら、本末転倒な気がしますが(苦笑)。

 なんやかんやと、本当になんやかんやとありましたが、最後(12話)で、楽しそうにゲームができて、彼女たちがその形にたどり着くことができて、本当に良かったと、心から思います。
ステラ24
 私は洗脳でもされたんだろうか・・・(笑)。作品への理解を深める行為は、もしかすると、その作品を好きになろうと努力することと、同義なのかもしれませんね。
 でも、すっごい時間かかったしすっごい疲れました(苦笑)。
コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.