寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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慎重な学者と桜
pixivに投稿した短編をブログにもアップしていこうと思います。
この作品は四月の三週に投稿したものです。
 人間の生活リズムについて。
 長年、そのテーマでニシカワ教授は研究を行っていた。厳密にはちょっと違うのだが、しかし簡単に言えば、人間には、どんな時代だろうと世情だろうとお国柄だろうと、なんだかんだ言って、正しい生活リズムが設定されているのではないか、ということだ。
 朝、目覚めた直後に太陽の光を浴びると、全身がじんわりと覚醒していく感じが味わえる。夜は、窓の外が暗いせいか、だんだんと目蓋が重くなってくる。それは、人間が太陽の動き、空の色、気温などから一日の生活リズムを調整しているからで、科学者のように不規則な生活を強いられる人だって、それは同じことだった。夜に起きて朝に寝るような人でも、そんな生活を数年続けた人でも、前述した習慣を実行することで、生活リズムを律することができる。 つまり、ざっくばらんに言って、外界と人間の生活リズムは連動していると言える。
 そこがわかったところで、彼が次に進んだステージは、一年の生活リズム・サイクルだ。そして、日本人にとって縁のある、まるで操られるように花見へと興じさせる魅力を持った桜を、その題材・テーマに据えた。
 慎重に慎重を期して研究をする彼は、たびたびライバルに先んじられ、研究成果を横取りされることがあった。けれど、研究とは早いもの勝ちの世界なので、ライバルに文句を言うのはお門違いだが、彼の下で働く研究員たちは、愚痴のひとつでも言いたくなるくらい、教授は慎重な人間だったのだ。
 その研究に限った話じゃないが、ニシカワにとっては飛ばすことのできない工程があったり、適当にできない部分があったりして、その性格が研究を発表するまで時間をかけてしまうのだが、彼の下で働く研究員たちも、教授の性格は熟知しているので、仕方ないと諦めながらも、そこが長所だとでも言うように、多くの人間が彼を慕っていた。
 そんなニシカワ教授は、学会に一年の生活リズムに桜が関係していることを発表すべく、二年、研究に取り組んだ。毎日、情報が手に入った一日のリズム研究とは違い、期間が一年なので、なるだけ多くのサンプルを手に入れるため、百人ほどの協力者を募った。社会人、学生、主婦、浮浪者、職人など、性別、年齢、職業ともにバラバラの人間を集め、一年だけで大量のサンプルを入手する算段だった。それでも充分とは言えなかったので、念を入れての二年だった。
 そして研究の結果が出た。桜が生活リズムに影響していたのは確かで、より細かく述べるなら、春の桜だけでなく、夏は夏の、秋は秋の、冬は冬のそれらしさや、風物詩、旬の食べ物などによって、一年のペースみたいなものが決まり、人間の体で生成されるエネルギー、活力のようなものにも変化があったのだ。
 それらをまとめ、学会に提出したところ、偉そうにあぐらをかく上層の連中から一蹴された。要約すれば、それがどうした、という返答だったのだ。
 一日でリズムがあるように、一年にもリズムがあるというのは学者じゃなくても何となくわかることだが、春にウキウキしたり、秋で切ない気持ちになったりするのは四季のある日本では普通のことだ、というのだ。簡単に言えば研究の全否定である。そして、一日のリズムというのは健康法だったり生活スタイルの提案だったりと、研究に利用価値があったが、一年のリズムという研究は何かの役に立つのか、というのが一番言いたいところだったらしく、それがニシカワ教授の逆鱗に触れた部分でもあった。
「利用価値ならあるだろう! 一年という長い目で正しい生活スタイルを提案すればいいのだ。先見性も知識も知恵もない奴らめ……」
 もちろん、現代人は多種多様な生活をしているので、みんながみんな、その提案するスタイルに準じることはできないだろうけど、ちょっとした気遣いなどで、一年通して元気に過ごすことができれば、その生活術がスタンダードになることだって充分考えられた。
 そして、そんな利用価値うんぬんなんてものは建前であって、教授は、隠されているかもしれない真実を解明するということを、一年というサイクルが人間にあるという事実を究明するということを、学会が是としない態度に何より激怒していた。そこは、積極的でないにしろ、慎重な性格にしろ、彼は科学者や研究者らしいと言えた。
 自分の研究に価値――いや、意味をもたらすため、彼はある行動に出た。意外にも、ニシカワ教授らしくない行動だったが、それが研究を一蹴されたことによる憤怒だとすれば、彼を知る人たちは納得できた。
 考えた行動は、全国の桜を狂い咲きさせること。
 集まった仲間は三百人ほど。
 桜は突然変異が多いことでも知られるが、枝を折ると死んでしまうというように、影響を受けやすい植物でもある。そして、春の風物詩でもあったことから、いち研究者が意図して時期をずらせる風物詩はそれしかない、とニシカワは考えたのだ。セミを秋に出現させたり、夏に雪を降らせたり、春に花吹雪ではなく本当の吹雪を降らせ、バレンタインデーを盆休みに移動させることは不可能でも、桜を狂わせることはまだ現実的だった。
 そして、二年の間、桜や花見のメカニズムも研究していた彼は、ある程度、狂い咲きという現象にも精通していた。
 ニシカワを慕って集まった三百人は、半年――もしくは一年という時間、ニシカワに協力し、日本中の桜に高温、もしくは低温を与えた。使うものはドライアイスや新鮮な氷、カイロや湯たんぽ、ストーブなどだ。それらによって、桜は体内時計を狂わされ、夏や秋や冬を春と勘違いして咲くようになった。
 桜を意図的に狂い咲きさせるということ事態、なかなかすごいことだったが、教授の目的はそこじゃなかった。季節外れの桜で花見会場が春以外の収入に喜ぶなんてこともあったようだが、そんなことは枝葉末節なことだった。
 桜が狂い咲きをして、二年、三年と経過した。セミの鳴き声をBGMに花弁が舞ったり、紅葉と桜が山を染めたり、粉雪と花吹雪が同時に降ったり――なんて光景が普通になり始めたとき、教授は、そろそろいいだろう、と決断した。
 改めて、桜が生活リズムに影響を与え、一年でリズム・サイクルはある、という論文を書き上げた。桜が狂い咲きしただけでなく、それによって体を壊す人が増えたことが、頃合だと判断した理由だった。桜が季節を勘違いしたように、人間たちも、夏なのに春と思ったり、冬なのに春と思ってしまうことで、体温調節がうまくできなかったのだろう。それは重ね着とか薄着とか、そういったことではなく、体が行う無意識の生理的な機能が狂っているので、自分で注意することができないのである。
 研究員や学者たちにもその症状があらわれたことで彼は確信し、その論文を学会へ提出した。今度こそ、内容が認められるものと信じて。
「君は、何を当たり前のことを言っているんだ」
 内容はまたも一蹴された。現代人は体を壊しやすいに決まっている、という理由でだ。
 そこで、ニシカワは気づいてしまった。自分が慎重ゆえに、時間をかけすぎてしまったことに。
 桜が人々の体調に影響を与えたのは事実だが、ある程度、時間が経ってしまったせいで、世間的に、体を壊している状態が普通になってしまったのだ。
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