寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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TVアニメ ユリ熊嵐 1~3話までのおおざっぱな所感&考察
ユリ熊嵐

 ついに始まった、幾原監督(通称イクニさん)の新作「ユリ熊嵐」。以前手がけた「輪るピングドラム」のときと同じような物議・混乱を、その名の通り嵐のように巻き起こしていますが、個人的には大好きで、しかも「輪るピングドラム」以上に理解・想像しやすい内容になっているんじゃないかと思います。そう思う理由を、ちょっとツラツラと書いてみようかなと。こういうタイプの記事って久しぶりだなぁ(遠い目)。

【タイトルについて】
 ユリ熊嵐という、なんとも昭和的な雰囲気を感じさせるタイトルですが、なんだかリズムはよく、口に出すと語感がいいなぁなんて思います。このタイトルを見て、無駄に博識な人は(オイ)、すぐさま「三毛別羆事件」のことを連想したようです。わたしが浅学なだけ?
 三毛別羆事件とは、熊による獣害で、かなりの被害者が出た事件のようです。googleで「三毛」と入力すると、三毛猫の次に出てくるくらい、有名な事件のようですね。まさか三毛猫ホームズより上なんて・・・。

 この三毛別羆事件、それなりの大事件だったこともあって、これを題材にした色んな作品があるようです。ドラマやら小説やら。それらのタイトルに「熊嵐」というのがあり、本作「ユリ熊嵐」はそこから取られている、と言えますね。熊嵐を知っていれば、三毛別羆事件についてはピンとくるということでしょう。わたしはそのあたりは全然知りませんでしたが。

 だからといって、それほどこの事件が本作の骨子やテーマになっているかはわかりませんし、なっていないような気もしています。「獣害」というのが一つのテーマであるなら、確かにモチーフではあるかもしれませんけどね。輪るピングドラムのときに言われていた「地下鉄サリン事件」も、それほど深く関わっていたようには見えませんし、この熊嵐については、三毛別羆事件をあまり意識する必要はなさそうです。現段階においての、あくまでもわたしの見解ですが。
 むしろ「ユリ」「熊」「嵐」と、別々に考えた方が理解が深まりそうですし、まずタイトルを決めてから、作品の要素を発想していったのかな、と思いますね。

【世界観からの読み解き】
 何をもって「理解しやすい」かを伝えるためにも、幾原監督繋がりでウテナやピングドラムを例にあげますが、その点はご容赦ください。

ユリ熊嵐02
 というわけで本作ですが、ウテナ、ピングドラムとはまた趣が違うなぁという印象があります(違って当然なんですけどね)。その二作と違って、ユリ熊嵐は「惑星クマリアが爆発」したり、「断絶の壁」があったりと、なかなかにファンキーでエキサイティングでゴリゴリゴリなSF設定になっています。ウテナもピングドラムも、ちょっと変わったところがあったり、変わった建物があったり、変わった慣例があったり、変わった異世界への扉があったりしましたが、基本は我々と同じく普通の世界が舞台だったように思います。ウテナであれば、学園の外は普通っぽいですし、ピングドラムもそうですね。
 しかし、ユリ熊嵐はそうではなく、すでにヘンテコな世界になっています。なので、この世界観を理解しようとするだけで、ある程度ユリ熊嵐については理解できそうな気がするんですよね。「なぜこのような場所があるのか」という前二作と違い、「なぜこのような世界なのか」に頭を巡らせることになるというか。

 当然、まだ答えが出ているわけではないですし、前二作についても、厳密な答えがあるわけではないですが、こうやって「考える」ことが大事なんだと、わたしは思っています。
 アニメとは本来、商品販売のための宣伝番組の側面が強く、アニメには必ずといっていいほど「商売」や「利益追求」が求められています。挿入歌シングルの販売だったり、主題歌シングルの販売だったり、フィギュア、プラモ、グッズ等の販売を目的としているものだってあるでしょう。売り出したい声優を活躍させる場として利用されることもあるかもしれません。
 それらが悪いとは言いませんし、それによって利益が出たのであれば、視聴者は満足してお金を出してくれたということなので、実に素晴らしいことなんですが、その構図が商売に傾きすぎてしまうと、これはちょっと様子がおかしくなってしまいます。
 視聴者の反応に過敏になってしまったり、無難な展開のものばかり作られるようになってしまったり、一時期の流行を追うようなアニメができてしまったり、制作側と視聴者のパワーバランスが、視聴者に傾きすぎてしまうんですね。視聴者に対して横柄になれ、というわけではないですが、少なくともこういうるつぼに陥ったアニメは、そう少なくないのではないでしょうか。そしてそういうアニメは、悲惨な末路を迎えることだって珍しくありません。

 幾原監督作品のように、あまり商売のことを考えておらず(わたしの偏見でしょうか)、むしろ視聴者に挑むような内容のアニメというのは、現代ではまず作られません。商売にならないからスポンサーがいなかったり、誰も協力してくれなかったりするんですね。それでも、幾原監督であれば協力してくれる企業やスタッフさんたちがいますし、彼らによって、このような挑戦的な作品ができあがると言えます。
 先ほど述べた制作側と視聴者のバランスですが、色んなアニメが視聴者に媚びへつらい、わかりやすく、刺激的で、快楽的で、惰性のまま得られる娯楽を与え続けたばかりに、今の視聴者たちは、ベルトコンベアーに流れてきた餌を食べる豚みたいになってしまっています。時折混じっている毒のある食べ物は受け付けないんですね。こういう難解な餌は、彼らには理解しがたく、吐き捨ててしまうかもしれませんが、ただ良質なものを食べるだけが退屈なわたしにしてみれば(実際わたしは食に対してかなり飽きっぽいです)、こういう解釈・考察が必要なアニメほど、視聴し甲斐があるというものです。現代人の少ない時間を費やすのですから、退屈なアニメを怠惰に見るよりは、魅力的なアニメを真剣に見たいんですよね。・・・あれ、世界観の話はどこいった。

【台詞や文字情報からの読み解き】
 幾原監督作品二作(ウテナ・ピングドラム)と違い、本作は文字情報が豊富だな、という印象があり、それも「理解しやすそう」と感じる要因です。名前がいちいち表示され、下には「ユリ」という文字。
ユリ熊嵐01
 他にも「ケイホウ」や「レキシ」という文字も確認できています。これらは、表示されている文字がどういうカテゴリーなのかを意味しているはずですが、人名のところに「ヒト」ではなく「ユリ」と表示されているのは、これまた謎ですし、同時に「わかりやすい謎」と言えます。ここで疑問を抱き、視聴者は「なんでだろう?」と考えることができるんですね。問題が提示されているわけですが、その提示がすごく丁寧というか、ハッキリいえばけっこう「露骨」なんです。
 他にも、人名に多く登場する「百合」という文字。先生や、生徒たちが強く強調している「友達」という関係性。主人公(?)の椿輝紅羽やその友達、泉乃純花が繰り返す「スキを諦めない」、透明な嵐などの単語が、印象的に登場します。その中で、一部気になったことについて、ちょっと考えてみました。

ユリ熊嵐05ユリ熊嵐06
 紅羽は「スキを諦めない」と固い意志を持っていますが、時折、どこからともなく電話がかかってきます。その電話口の相手は、諏訪部さん演じるライフ・セクシー。「君のスキは承認される」と、わけのわからないことを言いますが、ライフ・セクシーは、だいたいこのあとユリ裁判という謎の行事に出席し、被告グマ二人(二匹?)に対して、「ユリ承認」を行います。ここで気になるのは、「スキ承認ではないのか?」、被告グマに捕食を許可するなら「クマ承認ではないのか?」ということです。
 本作では人間の生活圏にクマが侵入してくる、言わば三毛別羆事件のようなクマによる獣害に怯えている展開が進んでいますが、クマはデフォルメされた可愛らしいデザインになっていて、その状態でヒトをバリバリムシャムシャと食べるシーンが数回登場します。これがいわゆる、フツーの捕食でしょう。
 銀子とるる(被告グマ二匹)が紅羽を「食べる」ときは、「ユリ承認~!」と言いながら変身し、ライフ・セクシーたちのような格好になって、紅羽の胸から生えたユリを、ぺろぺろと舐めています。食べるというよりはハチミチを舐めとっているように見えますし、他のクマたちが行っている「食べる」とは、明らかに様子が違います。
 名前のところに表示される「ユリ」は、そのままの意味で解釈すると「花」か「同性愛者」ということなんでしょうけど、スキ承認とユリ承認の類似も気になりますし、銀子たちの行動がユリ(同姓愛行為)だとすると、ユリとスキはほぼ同義で、なおかつユリには色んな意味が含まれているのかな、と推測できます。「同性愛者」であり、紅羽の「スキという気持ち」であり、そんなスキを「やさしく舐めとる行為」もまたユリということかな、と考えます。
 銀子たちは、スキを壊すものを許さないと言っていましたし、だからこそ、紅羽のユリを舐めて食べたのでしょうけど、それによって紅羽が成長していっているような、そんな気配が、話を重ねていくうちに感じられました。銀子は紅羽に「デリシャスメル」を感じていて、それは他のクマも感じているようですが、それが、彼女が銀子たちに狙われている理由でしょうかね。デリシャスメルは単なるキャラの個性付けのための口癖ではなく、それを持つものが他の人間より特別、ということなのかもしれません。

 クマは本来人型と獣型になれるようですが、銀子たちの「コスプレ状態(ウィニングモード)」はライフ・セクシーたちと同様、ちょっと特殊な状態だと言えます。「クマは人間を食べる生き物」としょっぱなから定義づけされていましたが、ウィニングモード(公式サイト参照)は、その中間というか、人に仇なさない中間的な存在ということでしょうか。

 ユリ裁判だって、かなりクマよりの判決ばかり出ている気がしますが、ライフ・クールは人よりの考え方ですし、そもそも人とクマ、両者を同等だと考えていなければ、わざわざ裁判などしないでしょう。それに、クマよりの判決といっても、被告グマは銀子とるるで、その二人はウィニングモードになってユリを行い、結果として紅羽が(恐らく)成長していることを考えると、ユリ裁判も最終的には人にとって優位な判決が出ている、と考えることもできます。あの短時間で執行され、しかも紅羽がまったく認識できていないのは気になりますけどね。あそこが異空間だからか、サブリミナル的な感じで現実では一瞬で経過する程度の時間なのでしょうか、裁判の時間は。

 ユリ裁判関連でさらに気になることと言えば、銀子たちがハチミツを舐め終わったあと、銀子とるるは手を出します。手につけているコスチュームが消えて人の手があらわれますが、その二人の手に、さらに加わる三人目の手がありました。まるでチームで結束するときのような手の出し方でしたが、その三人目が誰なのか、というのも気になるところです。
 メンツ的には紅羽しかいないはずですが、バンクシーンでは基本なすがままの彼女が、自主的に手を出しているように見えるのが気になります。クマを否定し、クマを破壊したい彼女の中にも、銀子たちと似た意志や想いのようなものが、潜在的に秘められているのかもしれません。

【透明な嵐について】
ユリ熊嵐03
 こちらもたびたび登場するワード。ユリ裁判のときも「食べるor透明?」なんて言われていますが、そもそも透明とは何なのか。
 これは「友達」というワードにも関連してくると思いますが、こちらも3話でけっこう語られた感じですね。最初こそいじめだ何だと言われていましたが、「透明の嵐」そのものは、誰かが人為的に行った行動の比喩ではなく、不思議パワーで起こっているっぽいです。透明の嵐を実行するために投票を行うところは人為的でしたが、どっちにしろ「いじめ」の比喩という認識は、ほぼ間違いないでしょう。
 いじめという端的かつ単純な表現で済ませていいのかは疑問ですが、クラスで「浮いた存在」が対象になる、というのはちょっと奇妙で引っかかるところです。この学校、というかこの世界観は、「同調」し、「周囲に溶け込む」ことを「是」としているところがあるみたいですね。そこから外れてしまうと、「浮いて」しまうこととなり、透明な嵐に見舞われる・・・。ということは浮くこと、注目を浴びることは、透明の逆で表現するなら「色がつく」ようなものでしょうか。そして、透明の嵐というのは、文字通り透明な連中による悪意のある攻撃、ということでしょう。
 透明化することがなぜ良いのか、なぜ肯定・推奨されているのかは不明です。しかし、クマやユリといったこの世界特有の要素を加味するなら、目立つことでクマに狙われやすくなる、ということでしょうか。
 女子生徒同士、「友達」の関係ならまだいいですが、「ユリ」な関係になってしまうと、クラスで「浮く」ことになり、透明の嵐に見舞われる。透明な嵐はユリを諦めさせ、透明になることを促していますが、それに従わなかった場合、最終的にはクマに捕食されてしまうという感じ? 「友達作り」を推奨しているのは、クマに襲われないようお互いの身を守る意味での警戒行動でしょうか。しかし、そこに「人に化けるクマ」が出てくるからまぎらわしいというか何というか。あれ、これって、ゲーム「人狼」にちょっと似ている?

 このあたりについては、「ユリダーク」同様、3話で新たに出てきた情報でもあるので、ちょっと考えが甘いところがありますのでご容赦ください。といっても、それほど意義のある内容ではないですし、研究者の重大論文というわけじゃないので、話半分、「こいつはこう考えているのか」くらいに思っていただければ。

【まとめ】
 この早い段階で考察しても多分あてずっぽうの見当違いになっているでしょうし、そもそもわたしの中でもあまりまとまってはいないので、この感想自体混乱した内容になっちゃっているかもしれませんが、こうやって考えることのできる内容というだけでも、非常に価値のあるアニメと言えるのではないでしょうか。
 前述した、「視聴者に媚びへつらった」「評判を気にして」「商売に心血を注いだ」アニメが面白く無いとはいいませんし、人間、誰しもアニメを見始めるタイミングとかあるでしょうから、最近のアニメが心のアニメになる人だっているでしょう。ただ、そういうアニメがすでに食傷気味でウンザリしている人ほど、こういう斬新で感性を刺激されるようなアニメに惹かれるのではないでしょうか。それでも、忙しくて難しいアニメを見ている余裕がない人は、ちょっとキツいでしょうけどね。

 わたしの感想も、正解とか不正解というのではなく、「こういう部分に注目してみては?」という、本作を読み解くためのヒントになれば幸いです。なので、まとめという本項の役割を果たす意味でも、ちょっと最終的な考察要素をわたしなりにまとめてみたいと思います。
 考察要素というか、今後視聴していく上での私的注目ポイントかな?

 ●「スキ」と「ユリ」の関係性。ほぼ同義と考えていいのか、それとも「ユリ」には同性愛、可憐な少女、クマの獲物、同性愛行為など、様々な意味が含まれているのか。

 ●クマという存在の正体。クマは本来我々が思い浮かべる熊と同じと見てもいいのか(どう見ても違う)、それとも本作特有の創作的存在なのか。クマは、衝動を抑えられないユリとは違うタイプの人間、という感じの何らかの比喩ではないのか。

 ●ユリ裁判とジャッジメンズ(ライフ・セクシーたち)はどういう存在なのか。銀子たちが判決を下された後の形態(ウィニングモード)がジャッジメンズと似ているのは意味があるのか。

ユリ熊嵐04
 ●ユリ裁判は、作中ではどういうタイミングで行われているのか。紅羽が足場を踏み外すあたりから、実は現実世界の時間は止まっていて、ユリ裁判は一瞬の内に行われているのか(単なるウィニングモード変身のためのプロセス? 変身シーンであれば、一瞬ということも頷けます)。

 ●透明な嵐は不思議パワーで実行されるのか、それともユリをハサミで切ったときの手のように、何者か実行犯がいるのか。

 などなど、このように気になる点はいくつもありますし、これらが作中で答えらしい答えを持って回答されるとは思いませんが、自分の中で「こういう意味だったのかな」という納得は恐らく得られるでしょうし、そういう視聴者に挑戦するような、それでいて視聴者を「客」とは思わず「議論の相手」みたいに接してくれるこのアニメは、他アニメとはまた違った魅力があって大好きです。
 やたらと持ち上げすぎているきらいもありますが、もはや本作のことはアニメというより雑学番組かニュース番組みたいに頭を働かせてくれる何かだと思っていますし、そういう姿勢で臨めるアニメというだけで、貴重な存在でしょう。無理して見るほどではないですが(そもそもアニメは気楽なものですし)、たまには趣向の変わったものが見たい、という変な人ほど、こういうアニメには惹かれてしまうのではないでしょうか。変すぎて、理解が及ばずに脱落する人多数な気がしますが、それはまぁウテナやピングドラムで通った道ですからね(苦笑)。


 本作を読み解くためにも、漫画は押さえておこうかな。どうも、かなり内容が乖離していて、ほぼ別物らしいですが、それはそれで気になりますからね。アルケーはクマとか、意味深な内容っぽいですし。
 ピングドラムと比べて、すでに小説版も出ているようなので、こちらも気になりますね。読んでしまうと本編のネタバレを喰らっちゃいそうですが(苦笑)。
 OP、EDの歌詞も内容にすごくマッチしていて、まだ聞けない2番とかはネタバレ満載じゃないかと思ったり。それにしても、曲のタイトル・・・あの夏で待ってると一文字違いなんですね・・・悪いとは言いませんが、この偶然の一致はちょっとアレですね・・・別に他意はないですけど・・・まぁよくある文章でしょうから・・・。
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