寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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TVアニメ ハピネスチャージプリキュア! まるごと感想&総括
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 後半をまくしたてるように感想してしまったこともあって、ちょっと気合入れてしまった感のあるまるごと感想&総括です(意味が重複している?)。
 基本的に言いたいことを言いたいだけ言っているだけの内容になりますが、個人的に総括は作品を冷静に、そして客観的にまとめられることもあって、作品をしっかり捉える意味でも重宝しています。その分、相応の時間や労力は使ってしまうわけですが・・・。今更すぎるタイミングですが、良ければどうぞー(言いたい放題なので注意)。

【ブルーという男と、ミラージュという女】
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 事の発端にして物語の全容とも言える、この二人の関係をおさらいしてみましょう。
 まず、神様は三百年ほど前にミラージュの前身であろう巫女と共に、敵を倒していました。これは現代でも同じことをやっていますね。巫女はキュアミラージュに変身し、ブルーはドレッサーを構え、敵と戦っていました。そんな中で、巫女はブルーに、ブルーは巫女の魅力に惹かれていき、いつしか通じあったのでしょう。
 しかし、ブルーは「一人に愛を注ぐべきではない」と、博愛とはちょっと違うかもしれませんが、それこそ「全体至上主義」みたいな感じで、巫女と距離を取ります。そんな反応をされて、巫女は相当なショックを受けたことでしょう。
 このあたりのニュアンスが曖昧なので如何とも言いがたいですが、例えばもう「結婚確実!」みたいな流れができていたところでの拒否は、婚約破棄みたいなもので、巫女のショックは計り知れませんが、まだお互い告白しあっていない希薄な関係だったなら、ブルーの対応も責められるほどのことではないかもしれません。彼の考えだって「一理」はありますし、そこで巫女は、ブルーの意見を尊重することだってできたでしょう。彼女が冴えた女性だったなら、好きな人の考えを尊重することができたのではないかと思います。
 とにかく、ショックを受けてしまった巫女は、赤い怪物(レッド)に利用され、クイーンミラージュへと変貌します・・・と言いたいところですが、そういえば、巫女さんがミラージュ様になったのはどういうタイミングだったのか、いまいち判然としていない気がします。作中で詳しく語られたっけ・・・?
 レッドであろう赤い怪物はドレッサーに封印したはずで、その後にブルーの巫女拒絶問題が発生したのは明白です。それからレッドは、ドレッサーから声だけ発し、巫女の憎しみを育て上げ、ミラージュ様へ覚醒させたというのが時間軸的には理に適った順序だと言えますね。クイーンミラージュになってしまったことで、ブルーはやむなく、彼女ごと「幻影帝国」を封印したのでしょう。
 
 こんな始まりだった二人ですが、最終的には、ブルーは「思いを伝える」と決意し、プリキュアに守られながら幻影帝国へ突入。ミラージュに思いを伝え、見事ゴールイン(オイ)。こういう概要だけ見ると、すごい主人公しているキャラクターだと思うのですが、神という立場上、どこか達観しているように見えたり、どこか手を抜いているように見えたり、どこか悟っているように見えたり、どこか無能に見えたりするのが、いくつも重なって彼のマイナスポイントになっているんだろうなぁと思うと、「ストーリー」や「キャラ設定」はイイのに、「キャラ描写」が壊滅的、という可哀想なキャラクターなのかもしれません。
 改善するためには、例えば「神様の一日」みたいな感じで、ひめたちが外出した後のブルーを追うような内容で、知られざる彼の素顔などがクローズアップできれば、多少「人間味」が出たり(神様だけど)「親しみ」が湧いたりして、現状の評価がもう少し改善されたのかな、なんて思います。
 「神様も万能じゃない」というのがテーマとして据えられていたように思えるのですが、そのせいか無能を晒してばかりだったのも残念でした。人並みに恋をして、人並みに悩んで・・・というのはいいとして、正体不明の敵についてや、年長者としての対応があまりにもお粗末だったりするのが、彼を無能っぽくさせているんですよね。せめて頼れる男性ではあってほしいですし、そうじゃないから、めぐみがブルーに惚れたときも、視聴者の大半は「え?」状態だった気がします。
 
 ミラージュ様については、もう失恋のショックでどーにかなってしまった哀れな女性というしかないのかな、なんて思いますが、本作には憎しみを増大させるレッドという存在がいるので、おおよそ大半のことは彼が原因ということで片付けることができそうです。正気に戻ったミラージュさんの穏やかさから見ても、デビルマンも真っ青なあの姿で怒り狂うとはとても思えませんし、レッドに憎しみを増やされ、操られたことでクイーンミラージュになっていた、ということで全てがおさまりますね。
 そんな彼女をラブリーのまっすぐな愛が浄化し、ブルーの告白もあって無事に元通り、めでたしめでたしということで、ミラージュさんにはそれほど語ることがありません。ある意味、単なるレッドの被害者ですからね。神様の想い人だったことが、狙われてしまうことになった不運と言えます。

【ひめの成長と贖罪と恋愛の物語】
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 ひめといえば、本作冒頭に登場し、友達を便利な手下か何かだと思っていたり、そういう発想をする割には引っ込み思案だったりと、色んな衝撃を与えてくれました。そのセンセーショナルな登場は、同時に彼女の欠点をすでに示してくれていて、序盤~中盤はひめの成長物語といっても過言ではありませんでした。
 彼女が人見知りな理由はよくわかりませんでしたが、大方、王族という理由で人付き合いの機会に乏しかったり、お世辞や機嫌取りばかりの大人たちに囲まれたりして、ウンザリしてしまったのかもしれません。ブルースカイ王国の住民がそうだとは言いませんが、やはり王族という特殊な環境の都合上、フツーの生活はできなかったが故の人見知り&ゲス思考だったのかも。

 王族ということで、彼女はアクシアに祈りを捧げる日課がありましたが、そのとき、謎の声によって封印を解いてしまいます。それが物語の発端・・・というほどではありませんが、世界に幻影帝国がはびこる原因にはなりましたし、彼女のこの行動が、氷川姉妹の運命を大きく動かしたと言えるでしょう。ひめが封印を解いたことは、世界に償おうとしても償いきれない被害を出しましたが、本作では「悪気がなければ悪ではない」というテーマが、複数あるテーマの一つとして描かれていた気がします。
 ミラージュ様の失恋ショックしかり、ファントムの犠牲精神しかり、誠司の隠された想いしかり、どれも悪意や恣意的な感情ではない「真剣な想い」で、それがレッドに利用されていました。ひめの事例は、別に「真剣な想い」があったわけではありませんが、そういう想いすら抱かない無邪気で年端もいかない時分だからこそ、レッドの甘言にはノリやすかったとも言えます。何せ、祈りの使命にそこまで重要性を見出してなかったようですからね。両親たちが祈りの重要性をもっと伝えておくとか、アクシアにどういう逸話があるかなどをひめにハッキリと伝えておくべきだったのではないでしょうか。「子供だから」という判断で言わなかったのであれば、ひめがレッドの悪意によって封印を解いてしまっても、ミラージュ様やファントムや誠司のように、「責めることのできないマチガイ」だと言えます。
 しかし、だからといって被害者からすればたまったものじゃありませんし、部外者ならまだしも、ひめによって多大な迷惑を被った場合、彼女に悪意があろーとなかろーと、「謝って欲しい」とか「贖罪をして欲しい」とか「絶対に許せない」と思うはずです。あの世界の住人は、もう諦めているのか、それとも楽観的なのか、それともお人好しなのか、それとも優しいのか、諸悪の根源ブルースカイ王国を憎んだり、その王族を憎んだりという世論にはなっていませんでした。描写してないだけかもしれませんが、幻影帝国を「憎しみの国」だと仮定すると、それと相対するこの世界は「愛の国」なのかもしれません。そして、そこに暮らす人たちは愛に溢れていて、何かを憎むようなことはしないのかも。

 そんな中、ひめを責める立場であり、責めることのできる立場だったのが、氷川いおなちゃんでした。しかし、このいおなちゃんも一風変わった立場であり、単なる「被害者代表」ではないのが面白いところですが、それはひとまず置いておくとして、彼女は幻影帝国復活により、キュアテンダーこと姉のまりあさんを鏡にされてしまいました。彼女がひめを恨むのは(一般的には)当然の流れですし、ひめも負い目を感じていました。
 プリカードが100枚集まり、大いなる願いが叶えられるというとき、ひめはそれをそのままいおなちゃんへ渡しました。何を言っても何をしても償えないかもしれないけれど、両親や祖国を救うチャンスを投げ打ってでも行ったその行為は、いおなちゃんの心を打つには充分でした。同時に、いおなちゃん自身も己の過ちに気づき、プリカードでプリキュアの力復活の願いを叶えますが、この願いについてはいおなちゃんの項にて。
 プリカードを渡すことで、ひめの贖罪は完了しました。そもそも彼女に悪気はなかったので、「愛」に溢れた世界の人たちは悪気のない行動は咎めません。さらに、被害者代表とも言えるいおなちゃんが彼女を許すことで、贖罪は完了したのです。
 彼女の罪が雪げたかどうかは議論の余地があるというか、そうは思えない視聴者も多くいたようで、このあたりもひめのキャラクター性が裏目に出ている感じがあります。ブルー同様に、もうちょっと描写があればと思いましたね。罪を罪と認識し、それがしっかりといおなちゃんへの行為によって贖われたということがわかりやすければ・・・。罪に苦しんでうなされるシーンなんかも、あってもよかったかもしれません。

 いおなちゃんへの一件(キュアフォーチュン復活)によって、ひめのストーリーはそのほとんどが完了してしまった感があり、その後はチームのマスコット的な存在におさまってしまったのは悲しいですが、そんな彼女が本筋に絡みそうな要素として、本作の特徴でもある「恋愛」がありました。ガッツリ関わるのではなく、匂わせるだけでしたが、それっぽっちの描写だったが故に、また波乱を呼んだといえば呼んだかもしれません(苦笑)。
 ひめの恋愛というのは、そのものズバリ、誠司に惹かれつつある描写のあった途中の数話です。あの話は必要だったのか、という議論も巻き起こりそうなくらい、ちょっと唐突感のあり、なおかつ意義が見いだせない展開でしたが、あえてあそこに意味を見出すのであれば、あれはOPのワンカット(めぐみと誠司の間に割って入るひめ)でも、そして本編の端々でも匂わせてあった「ひめ→誠司」を完全に消し、ラストのストーリーに集中してもらうため、なのかもしれません。いわゆる恋愛戦線に、ひめを混ぜ込まないためというか。
 カワイソウな話ですし、OPから察するに、当初は身内での恋愛トライアングルみたいなのを想定していたのかもしれませんが、そっちに舵取りできなくなったとか、何らかの理由で方針が転換された、誠司とめぐみにもっとクローズアップさせたかったとか、理由はいくらでも考えられます。とにかく、大事なのは「ひめを話に加えない」ことだったのではないかと。

 ひめは映画で王子に恋したりと、「恋多き少女」みたいな描かれ方をしていて(本編で失恋したからこそ?)、恋愛にはミーハーな感じがちょこっと見受けられます。そんな彼女が真剣で陰鬱でドロドロした恋愛関係に混ざるとは想像できませんし、もしそうなってしまった場合、この作品のムードメーカーが消えて、作品自体がドロドロしたイメージになってしまいそうな予感がありました。彼女の明るさが作品のテンションに連動していたようにも思えますし、だからこそストーリーがほぼ完了した後は、マスコットに徹させていたのかもしれません。実際、ひめとめぐみがドロドロした男の取り合いをしたとかになると、プリキュア史上でも稀に見るドロドロ・テイストになりそうです。明るい場面があったからこそ、落差がすごいことになりそう。
 そういう意味では、ひめに失恋させ、しかもその失恋を「吊り橋効果の勘違いよ」なんて風に諭すことになったゆうゆうは、損な役を押し付けられたと言えます。このあたりは、(わたしの仮説が正しければですが)終盤や脚本の事情によってキャラクターたちが蔑ろにされた、とまではいいませんが、少しカワイソウな展開でした。
  しかし、そうでなければわざわざひめが誠司にトキメクような展開も、そしてそれを勘違いだとする話も挿入する必要がないように思えるんですよね。終盤の恋愛展開を早めにしておいて、視聴者を慣れさせておく目的もあったかもしれませんが、それにしてもカワイソウでした。どうせならひめがトキメクようなことすらさせず、サブキャラクターたちにやらせておくのもいい手法だったんじゃないかと思うんですけどね。なので、夏合宿でりんちゃんが誠司に告白するようなシーンは、サブキャラで恋愛展開をしたのですごくうまい内容だったと思います。
 展開によってキャラの描写に優劣をつけるのではなく、全員に真剣に取り組んで描写してくれたなら、ひめもこういう描かれ方はしなかったとは思いますが、長峯監督はけっこう冷静そうというかシビアそうというかクレバーそうというか、理詰めで話を考えてそうですし、情熱よりも冷静さが前に出るタイプそうなので(完全なる偏見と憶測)、きっちりとチャートなどで「優先順位」なんて感じでキャラクターの描写量とか計算されてそうで、それが描写に変な偏りが産んでいるとしたら残念ですね。どれもわたしの勝手な推測ですが。

【氷川姉妹の悲運】
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 氷川姉妹は半ば悲劇のヒロインのように描かれてきましたが、それもこれも、幻影帝国復活、すなわちひめの「悪意ない」迂闊な行動が引き金でした。本来ならちょっと因果関係が遠くて、こじつけるのは難しいかもしれませんが、アクシア開放・幻影帝国復活により、プリキュアハンター・ファントムが出てきたことが、姉妹にとってミス・フォーチュン(不運)だったと言わざるを得ませんし、遡れば、それはひめが原因だったと言わざるを得ません。とすると、ファントムに襲われたプリキュアはみんなひめを恨まないといけなくなりますし、幻影帝国によって何らかの被害を受けた人は、全員ひめを恨まないといけません。
 「恨まないといけない」なんて言い方は偏っているかもしれませんが、いおなちゃんの反応(ひめへの態度)が正しいとすれば、そういうことになります。しかし、大多数がそうでないように、いおなちゃんが少し偏った考え方をしていたのは言うまでもありません。いおなちゃんの事情もわかるので、彼女のようにひめを恨む人がいても不思議じゃないんですけどね。
 いおなちゃんが被害者の中で少数派、というか過激派であることは今語った通りですが、そんな彼女は、序盤ひめへの「攻撃役」として存在していました。ひめが世界中の人間から責められるのは見てられない酷い光景になりそうですし、本名を隠していることからも、その点はうまく避けていたように思えます。幻影帝国から隠れることと、ブルースカイ王国の王族であることを隠すことがしっかり一致していたんですね。しかし、事情と正体を知るいおなちゃんは、ひめを許すことができませんし、序盤から過激に攻撃をしてきます。といっても辛く当たったりする程度ですが。

 ひめは、いおなちゃんに罪滅ぼしをする方法として、「100枚揃ったプリカードのファイル」を渡します。それは「大いなる願い」の権利を渡すも同然で、ひめにしてみれば、渡せるであろう最大級のアイテムでした。しかし、大いなる願いを渡すというだけでなく、「自分の祖国や両親より優先した」ということの方が、ひめにとってもいおなちゃんにとっても大きなポイントだったと思います。いおなちゃんはなまじ事情を知っているからこそ、ひめのその行動に真剣さと真摯さ、精一杯の釈明を感じたのではないでしょうか。
 いおなちゃんはひめの「攻撃役」として存在していたわけですが、よくある烏合の衆による無自覚な悪意ではなく、いおなちゃんにはいおなちゃんなりの事情があり、それによって「攻撃」していたのが特殊なところです。烏合の衆、いわゆる世間の人たちなどが、ひめのしでかしたことを知り、いおなちゃんのように攻撃した場合、もちろん実際に被害を受けたからこそ攻撃する者もいれば、よくわからないけど攻撃する、便乗して攻撃する、何らかの責任を押し付けるために攻撃するなどなど、無秩序の害意がひめを襲ったことでしょう。そうなった場合、警察の威圧的取り調べよろしく、ひめは犯した事以上の弁明をしなくてはならなくなったり、余計な部分まで責任を負って背負わされることになりそうです。そういう無秩序な敵意が相手だったら、プリカード100枚ではどうしようもなかったでしょうし、その分、攻撃役代表がいおなちゃんだったのは、ひめにしてみれば幸いだったかもしれません(オイ)。
 いおなちゃんがひめを攻撃していたのは、ひとえに姉のまりあさん(キュアテンダー)がファントムに囚われてしまったからでしょう。単純に「テンダーが負けた」というだけなら、彼女の力不足が要因になりますし、もしそうだった場合、ひめへの攻撃は八つ当たりや憂さ晴らしでしかありません。しかし力不足が原因でない場合、ファントムの登場・復活を恨むのは道理ですし、その原因であるひめを恨むのも、これまた道理です。さらにしかし、それもテンダー敗北の直接的原因ではなく、真実は、「いおなちゃんを庇って戦ったから」でした。この真実で責められるべきは、実は妹であるいおなちゃんなんですね。
 姉の敗北の原因が自分にある、という真実に耐えられず、いおなちゃんはひめを責めて、攻撃していました。これだけ見れば、いおなちゃんは自分のことを棚にあげて他人を責める性悪と捉えられても仕方ありませんが、「自分が原因」という辛い事実から逃れたいのは、きっと同じ境遇なら誰だってそうなるでしょうし、それが、彼女が単純な「攻撃役」ではない理由であり、ひめとの関係改善のためのヒントでもありました。いおなちゃんの行動も、ひめへの敵意はあったかもしれませんが、ある種の自己防衛というか処世術というか、自分の心を守るための手段だったんですね。そして本作は、そういう「悪意のない行動」には寛容です。視聴者も同じ気持ちになれるかは、微妙なところですが。
 ひめは、真剣な気持ちで「大いなる願い」を渡しました。その真剣さ、真摯さを受けたことで、いおなちゃんは自分が犯していた過ちに気づき、反省します。これも、ひめが犯した罪同様、反省してもしきれるものではありませんが、一応形として反省したこと、そして「大いなる願い」で願った願いこそが、ひめがプリカードを渡したような、いおなちゃんなりの「罪滅ぼし」だったのではないでしょうか。ひめの気持ちがいおなちゃんを動かし、いいスパイラルが生まれていました。

 いおなちゃんの願いというのは、ひめの気持ちから渡されたものですが、ある種、「託されたモノ」と言ってもいい代物でした。それほど重大なものを罪滅ぼしの気持ちとして渡されたので、いおなちゃんも願い事には慎重にならざるを得ません。相手の予想を上回る気持ちという意味では、ホント、これ以上ないモノでしたよね、プリカード100枚は。
 願いをちゃんと考えて決めるシーンは個人的高ポイントでしたが、特に「幻影帝国消滅も可能だろう」みたいな、「すぐ叶いそうな夢」があることをチラつかせたのがうまい。もちろん、人情としてはそれを選びたくなるところですし、それをやっちゃえばいいじゃんという意見もわかりますが、それをあえて避けたというのがプリキュアらしいんじゃないでしょうか。大いなる願いの万能感をうまく中和していましたし、「美味しい話には裏がある」じゃないですけど、幻影帝国の消滅を願ったくらいでは幸せは訪れない、という判断が実にプリキュア・イズムでした。
 プリキュアは、可能であれば敵とは戦わなかったりしますし、時には和解したりして、今までの歴史を紡いできました。「敵の消滅」なんてバイオレンスなことを言い出すのはちょっと違いますし、そうした場合、何か落とし穴的なことに見舞われないとも限らないという予防線を張った意味でも、「幻影帝国消滅」を選ばなかったのは秀逸でした。いおなちゃんが冷静になれていたことも要因かな。実際、300年前に幻影帝国を封印しても、ひめの行動(レッドのささやき)によって復活してしまいましたし、そういう痛いしっぺ返しが、何らかの事情によって起こらない保証はありませんからね。ならば、困難だろうと、より確実な方法を選ぶのは、正義の味方としても正しかったように思えます。
 その「確実な手段」ですが、プリキュアの力を取り戻す(復活させる)という、確実性を選んだ割には、けっこう不確定要素が多そうな内容でした。しかし、「信じられるのは自分の力だけ」というのは、彼女がプリキュアを始めた動機にも通じそうですし(最初は孤軍奮闘していたキュアフォーチュン)、何より「相手と拳を交える」というのは、単なる討伐や撃破、勝利とは違う意味合いが、プリキュアでは含まれますからね。拳を交えることで、相手を理解し、相手と語り合い、その末に浄化するというのがプリキュア道ですし、それを自分の手で行いたいというのは、異星人との交流に名乗り出る地球代表みたいな意味合いの方が近いのではないでしょうか。どんな危険が孕んでいようと、重要な立場であり、相手との誤解を恐れずに立ち向かう姿は、もはや正義の味方というより人間世界代表の親善大使のようです。そういう意味じゃあ、ブルーやひめの住まいが大使館なのは、なかなか的を射ていたような?
 本作のプリキュアは、各地に点在することや、けっこうフツーの子でもプリキュアになれるっぽいこと、そして人々を応援し、応援されて強くなるということから、今までのシリーズ以上に「アイドル的」だと認識していましたが、正義の味方というよりは外交官っぽいという意味でも、実はアイドルらしいのかもしれません。外交官=アイドルとはいいませんが、コール&レスポンスのように「交流が上手」という意味では、同一視してもいいのかも。他国の大臣や大使が美人だと日本でも話題になったりしますし、外交官はアイドルっぽさがあってもいいのかもしれませんね(あってしかるべき、とまでは言いませんが)。

 考えぬいた末、プリキュアの力を復活させ、新生キュアフォーチュンとして幻影帝国に立ち向かう決意をしたいおなちゃん。その後、ハピネスチャージプリキュアに加わりますが、彼女がそれを境に態度を軟化させていったのはいいとして、けっこうひめラブに傾いていったのは意外でした。でも、嫌い嫌いも好きのうちと言いますし、彼女はひめに、純粋な敵意ではなく、自分の罪悪感を誤魔化すための敵意を向けていたため、それに対する謝罪の気持ちもあったことでしょう。ひめの事情を知り、プリカードを渡してくれた決断がどれほど尊いものだったかを実感したことで、彼女の行動に感激し、ひめに感情移入しちゃった感があります。そこからの二人の仲睦まじさは、前半の険悪とのギャップもあってすごくいいものでした。

 いおなちゃんのストーリーは、その「新生キュアフォーチュン」と、「キュアテンダー救出」が最たるものだと言えるでしょう。ファントムとの因縁も少なからずありましたが、それはハニーが途中で関わったことで、彼女が肩代わりすることになったきらいがあります。でも、いおなちゃんの物語の焦点は「ひめとの関係」や「キュアテンダー救出」の方が主眼だったように見えるので、ファントムとハニーというのは、別に違和感のないさり気なさでした。あの関係性を前々から計画していたのではなく、急に入れ込んだとしたら、その手腕は見事と言えるでしょう。
 テンダー救出に関しては、イノセントプリフィケーションのお披露目や、ドレッサーの真の力に絡めてあったので、それほど重要となるポイントはありませんでした。いわゆるミラージュ様やファントムのときと同じく、戦闘や言葉で説得→正気を取り戻しそうになる→介入によって凶悪化→浄化という流れ。この流れは本作ではかなり多かったような体感があり、ある意味、重要キャラではこの流れを徹底していたように思えます。
 監督のヒロイズムなのかもしれませんが、一度取り戻しかけた正気を外的要因によって再び凶悪化することで、完全にその敵から「悪気」が消える、というのがミソかもしれません。何せ一度正気に戻っているんですからね。
 「悪気のない行動」は咎められない、というのが本作のテーマだと何回か言いましたが、それに当てはめるなら、正気を取り戻しかける→外的要因で凶悪化というのは、その相手から「悪気」を取り除く手法だと言えますね。そうすることで、敵は敵じゃなくなり、その外的要因(レッド)こそ真の敵なんだと印象付けることもできます。洗脳がメインウェポンなレッドだからこそかもしれませんが、本当の「悪意、悪気」の出処がどこなのか描写する意味でも、実はいいテンプレートだったのでしょうね。

【ゆうゆうの絶対ご飯主義】
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 ゆうゆうと言えば、序盤からキュアハニーとしてその強さを知らしめつつ、そのライス&ピースな思想は、多くの人を笑いや混乱に陥れた、なかなか独特で、しかししっかりした芯を感じる少女です。そして、その芯は最後の最後まで揺らぐことがなく、もはや彼女について語ることなんて残ってないんじゃないかと言えるほどです。
 その万能さと裏の読めなさから、多少万能キャラとして酷使されつつあったように思えるところは難点ですが、それが許されるキャラ付けもされていたので、場合によっては一番美味しいキャラであり、場合によっては一番損なキャラだったかもしれません。
 ハニーバトンの販促を一身に引き受け、その武器同様に柔軟で百人力な活躍を見せる彼女。彼女の裏の読めなさは、喜怒哀楽のうち喜びや楽しみの表情は見せるのに対し、「怒り」や「哀しみ」があまり、というかほとんど見られないところが起因していたように思えますね。それらの感情が欠如している、とは言いませんが、感情を押し殺せるタイプだったり、もしくはそういう感情がなかったりするんじゃないかと、なかなかの憶測を呼びます。それが、彼女の人間らしさを減らし、聖人っぽさを増やしている理由の一つでしょう。普通の人間より、はるか高次のところに存在しているんじゃないかと錯覚してしまいます。
 そんな彼女の思想として存在しているのも「みんなで食べるご飯は美味しい」というもので、これも「ああ、ご飯大好き人間なんだな」と思う反面、そればっかりなので、「彼女は並大抵のレベルではないご飯狂なのでは」と思ってしまうところが多々ありました。ご飯は、彼女のキャラ付けとしてはバッチリでしたし、挿入歌も素晴らしく、特に不満らしい不満はありませんが、そもそもこのご飯、なんだかわたしには比喩に聞こえてなりません。というか、何かの比喩のつもりだったのでしょう。

 ちょっと話は逸れますが、スポーツというのは、ある程度文明が発達した国でしか広まらない、と、あるスポーツ研究学者の人が言っていました。スポーツが発達した国や時期を調べると、そうなっているらしいです。
 定められたルールに従い、フェアに、スポーツマンシップに則って正々堂々戦うというのは、確かに野蛮で暴力的で秩序のない国では行えないでしょう。戦争中の国では、スポーツという文化は発達しないのです。今やスポーツは、国際的な交流としても発展し、言語が通じない人同士でも、そのルールや戦いを経て交流することが可能になっています。
 ゆうゆうの言っている「一緒にご飯を食べる」というのも、実はそういうことではないでしょうか。時折、彼女は「平和でなければご飯は美味しく食べられない」ということも口にしていました。確かに、戦争中は余裕がなくてメシも喉を通らなそうですし、兵糧攻めがあったらマズイ飯ばかりになってしまう可能性もあるでしょう(質の低いものでも食べざるを得ない)。戦っている敵国の相手と同じ釜の飯を食べるなんて、そうそうできることではないかもしれません。だからこそゆうゆうは平和のために戦っていたわけですが、これもまた、彼女は「交流」のために戦っていた、と言えます。敵を敵と思わず、交流の代わりとばかりに「一緒にご飯を食べよう」とする様子は、キツネリスに指を出したナウシカのようです。

 ご飯を通じて平和を唱えるキュアハニーは、常に一歩引いた立場から、展開を悟ったようなことばかり言い、そういう描写描写も、彼女の懐の深さや、底の見えなさを作る要因でした。多少、彼女の少女らしさをちょっとばかり見せてくれてもいいように思えたのですが、このあたりはさじ加減が難しいですし、作り手の方針もありますからね。個人的には、作中では何か驚くような仕掛けが欲しいところなので、「ファントムは実は妖精だった!」「誠司が敵になっちゃった!」とかだけでなく、こういう少女たちの描写でも、驚きが欲しかったですね。
 唯一、ゆうゆうのエピソードとして登場した初恋話は、それをきっかけにファントムと因縁ができ、クライマックスにうまく絡むことができました。これがないと、ホントひめ以上の空気化は免れなかったでしょうからね・・・。特に伏線らしい伏線があったわけでも、このエピソード自体にはそれほど重要性がなかったのも事実で、完全に「ファントムとの因縁」のためだけに挿入されたような話ではありましたが、彼女を補完するエピソードという側面から見ても貴重ではあります。
 しかし、こういったエピソードの少なさも、彼女の裏の読めなさになっていますよね。そうしたかったということなら、目論見通りではありますが、キャラ描写の少なさは「そのキャラが放置されている」ようにも見えちゃうので注意が必要だと思います。必要なときに必要な分だけ、というのは正しいといえば正しいのですが、そこの判断があまりにクレバーすぎると、登場人物たちがただの脚本のための装置に過ぎない扱いになってしまう場合があります。
 プリキュアがアイドル的だと称しているのは、応援して応援される立場であるだけではなく、「キャラクター」が売りの、ある種キャラクター商売という側面もあるからです。なのでキャラクターの魅力は多ければ多いほどいいわけですし、空気化してもマスコットとして愛嬌を振りまいていたひめと違い、常に一歩引いた立場のゆうゆうは、女神のような懐の広さはあれど、ちょっと底の見えない感じが不気味でもあるんです。不敵な感じというか、ちょっとした爆弾のような、何が起こるかわからない不確定さが、可愛く感じるより怪しく感じてしまうのは、むしろ人間としてはまっとうな感情ではないでしょうか。描写の量もそうですが、ゆうゆうを描く上での方針・舵取りが、これで本当によかったのかな、という疑問は、小さな疑問ですが最後まで拭うことができませんでした。

【めぐみと誠司の始まりと終わり】
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 この二人は、終盤の肝にして、レッドへ痛烈なダメージを与えるための布石になっている重要な存在でした。この二人も描写のバランスが不安定というか、充分に描けていたかは微妙ですが、恋愛をテーマにした本作では欠かせない二人ですし、いわゆる「闇堕ち」という展開を、身近な人間を使って描いたのは、近年でも、それどころか全シリーズ通しても、なかなかないんじゃないでしょうか(フレッシュ以前は記憶が曖昧なので、あったら申し訳ない。どっちにしろ近年じゃないですが)。
 そんな本作を代表する二人ですが、誠司の描写の多さと、めぐみの描写の少なさから、視聴者のほとんどが誠司に味方して、めぐみやブルーにヘイト(恨み)が集まるという、あまり好ましくない状況になってしまったのは、本作にとって大きな痛手でしょう。わたしとしては、ブルーがどういう存在かはすぐに把握しましたし、めぐみの乙女な感情の偏移もわからなくはないので、むしろ誠司にこそ苛立ちに近い感情があり、ダーク誠司になったときは、「何を情けない姿を晒しているんだ」と思ったものです。レッドの洗脳がそれだけ強烈とも言えますが、彼に付け入られる隙があったのも事実ですからね。

 ラストのブルーの語りではないですが、本作のテーマの一つとして「鏡」がありました。有効活用できていたとは言い難い要素ですが、ブルーの語りはひとまず無視していただくとして(オイ)、他者を見て苛立つとき、それはそのまま「自分の欠点」であることが多いというのが、確か心理学の分析であった気がします(うろ覚え)。
 仕事の遅い部下に苛立つのは、自分の仕事が遅いから。マナーのなっていない通行人に苛立つのは、自分のマナーがなっていないから。何かに苛立つというのは、「そこが自分のコンプレックス(弱点)だから」ということで、だからこそ目につくし、だからこそ苛立っちゃうわけです。本当に無関心であれば、仕事の遅い部下がいようと、歩きタバコをする通行人がいようと、苛立って感情を揺れ動かせたりしないはずです。
 ラストで、ブルーはそういうことを言いたかったのかな、なんてかなり好意的に解釈してやってますが、とにかく、ブルーやめぐみにヘイトを募らせた人が多いところを見ると、本作品が「鏡」だった場合、ブルーやめぐみのような人が多い、という風な結果になるんじゃないかな、と思います。有能だけど無能をさらす情けないイケメン長身男、頑張り屋だけど自分に関心がなく知らない間に誰かを傷つけている全力少女という感じ?
 これだと、誠司のハッキリしないところに苛立ちを覚えるわたしは、自分を「誠司的人間」としてアゲているように見えてしまうのはなんとも微妙ですが、それは置いておくとしても、人は、人を鏡にして自分を見ている、というのは確かに真理です。これを本当にテーマとして、意図的に組み込んでいたかは謎ですが、もしそうだとすれば、もうちょっとわかりやすくして欲しかったというのが正直なところですね。知らない人はまったくわからないでしょうし、「鏡ってなんだったんだろう」という感想になっちゃってそうですから。あまり語りすぎるのも考えものですが、語らなさ過ぎるのも考えものです。

 ちょっと脱線してしまいましたが、めぐみと誠司については、クライマックスで語られた以上のことはないでしょう。めぐみはいつまでも誠司の気持ちには鈍感で、誠司は彼女の一歩後ろから、サポートするようについていく、というのが二人の理想の関係性なんじゃないでしょうか。誠司が空手を始めた理由でもある「めぐみを守る」というのも、めぐみの前に出る必要があるかもしれませんが、それだとめぐみはさらに前に出てしまいそうなので、一歩後ろから、必要な時だけ前に出る、くらいの方が立ち位置としてはいいのかもしれません。
 思い返せば、一話の時点で、めぐみは自分が濡れることなんか省みず、まおちゃんの帽子を取ってあげました。そこに助けに入ったのは誠司で、このときから、二人の「最適」な関係性というのは、実は完成していたのでしょう。めぐみがブルーに揺れたり、そのせいで誠司の心も揺れたりしましたが、けっきょくのところ、一話の関係性が、二人にとって理想だったということです。・・・あれ、やっぱりブルーって最低の男じゃん!(オイ

 とまあ冗談はさておき、めぐみもお年ごろ、魅力的な男性に惹かれてしまうのは無理もありません。ブルーの魅力がそもそも描かれていないのはアレですが、めぐみがブルーに恋をするのは、「失恋をする」という、ミラージュ様や誠司と同じ状況下に置かれながらも、憎しみに染まらないということを体現する大事な要素でした。誠司も失恋させる必要があったので、それなら誠司→めぐみ→ブルーという構図にするしかなく、それはまぁいいのですが、ブルーしかりひめしかりゆうゆうしかりめぐみしかり、本作は圧倒的に「描写不足」だったと言うしかありません。
 この描写不足というのは、彼ら、彼女たちの「本当の姿」や「本当の表情」、「本当の気持ち」などを描くということで、単純な日常や、戦闘時の対処方法、活躍などではありません。喜怒哀楽をすべて表現するかのように、それらを表現することで、視聴者にとってキャラクターはグッと近い存在となり、親近感を覚えることができます。
 神様も実は平凡、というテーマもあったのですから、ブルーも雲の上から人を見るようなことばかり言わず、例えば彼をもっともっと色んなところに連れ出して俗世に染め、ある意味で「人間らしさ」を与えれば、ブルーを好きになる人は増えたでしょう。激しく苦悩し、涙を流し、怒るように感情を吐露する場面があれば、彼を好きになる人は、少なくとも今よりは増えた気がします。ブルーが告白を決意できたのも、めぐみたちによる影響で変化・成長した結果ですし、もういっそのこと、ブルーはひめよろしく、どんどん変わっていってもよかったと思うんですけどね。
 ひめの謝罪が足りないと思っている人にも、ひめが罪の意識で苦しんでいたシーンや、両親といおなちゃんを天秤に掛けて葛藤するシーンが描かれれば、考えを変えたかもしれません。ゆうゆうの少女らしいところ、めぐみの魅力など、もっともっと描くべきところはあったと思うのですが、存外、描写が足りてないことに、わたし自身驚きました。
 それほど尺が押していたようには思えませんでしたし、毎回ぎっしり描いていたように思うのですが、意外や意外、そういう大事なところは描写できていなかったのですね。個人的にはあまり不満はないんですが、本作に不満を持つ視聴者が多いということは、やっぱりそのあたりの「描写不足」が響いているように思えてなりません。作品の方針・テーマを大きく変えることは難しいですが、描写のバランスを変えるくらいはできそうですし、それができていれば、最終的な評価・評判も今よりは変わったのかな、なんて、今更なことを夢想しています。夢想したところで実現できるわけもなく、やはり後の祭りなんですけどね。

【作画・音楽・その他固有要素について】
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 キャラデザの佐藤さんは、ハートキャッチの馬越さんの知り合い(弟子?)ということで、シンプルなデザイン+よく動く作画というのは、似通った雰囲気を感じました。しかし、馬越さんがシンプル+女児が好きそうなキラキラ感があるのに対し、本作にはそのキラキラ感(曖昧)に関しては欠けていたように思います。単純な衣装のキラキラ、エフェクトのキラキラもそうですが、目のキラキラ(ハイライト)とかも大きな違いでしょうか。
 馬越さんのデザインの特徴として、単純に「瞳が大きい」ということが挙げられますが、瞳が大きいことで表情がついたり、目のハイライト(キラキラ)が単純に見やすいというのも特徴でしょう。佐藤さんは、ハピネスチャージで「手塚治虫や藤子・F・不二雄的な」素朴で可愛いデザインを目指したそうで、そもそも目は顔全体との比率で見ても小さめです。それによってキラキラ感が薄れていた感じはありました。ラブリーなんかもサイボーグ009の島村ジョーを参考にしたようで、それらはわたし的にはストライクなんですが、こと「可愛らしさ」という意味では、そうは思えない人が多かったようです。
 続けて見ていくことで、段々とわかってくる「可愛さ」もありますが、飽きっぽい女児などを相手にする場合、ファースト・インプレッションというのも大事ですからね。

 音楽については、高木さんが続投だったので、特にこれといったところもなし・・・と言いたいところですが、使い回しBGM以外はどれも新鮮でしたし、そこはさすがでした。変身BGMの「ハーピネースチャージ」というコーラスがすごくいいですし、あれ、ラジオ情報によると五條さん(ふたりはプリキュア主題歌など)のコーラスらしいですね。知らなかったそんなの・・・。
 イノセントハーモニーも、ある意味本作屈指の名BGMであり名挿入歌と言えます。いや、挿入歌なら「勇気の生まれる場所」も素晴らしいのですが、あちらは挿入歌としては主張が強く、必殺技バンクとしても使用できるイノセントハーモニーは、また別の魅力がありました。プリキュアたちが歌って踊るEDはいくつもありますが、歌って踊る必殺技は、本作が始めてやったことですから、その斬新さみたいなのもよかったですね。

 その他固有の、本作が個性的に取り組んだ要素として、「適当必殺技」や「フォームチェンジ」、「CG必殺技」というものがありました。適当(アドリブ必殺技)は、同長峯監督作のハートキャッチでも見られた光景ではありますが、本作のアイテム「ラブプリブレス」がそういう仕様だったようですし、実際のグッズでも色んな必殺技音声が収録されているようなので、そこは明確な「推し」要素としてあったようですね。
 実際、必殺技が多いと戦闘は楽しいですし、ずーっと使い続けてくれると愛着も出てきます。それに本来のバンク以外にもバンクがたくさん用意できるので、必然的に労力は減り、その分他のところに労力を割けるという利点もありました。そういう長所があってなお、かなり作画の悪いときがあったのは如何なものかと思いましたけどね。東映さんはアニメ作りすぎなんだよなぁ・・・しかも常にオーバーワーク気味というか、ギリギリアウトなラインでやっているというか。

 フォームチェンジは、人魚のように戦闘中に使われて活躍したものもありますが、基本的には日常パートで、まるでノルマを消費するかのごとく登場した程度なのがもったいない。効果的に出番を増やしたりできなかったのは惜しいですし、そういうところ、仮面ライダードライブの三条さんはうまく脚本を書いていると思います。それでもすべてのシフトカーを満遍なく使うのは苦心しているようですが。
 日常パートでさえあまり出番がなかったフォームチェンジを、戦闘中に効果的に使えるはずもなく、それこそ人魚以外は「CG技」のためにフォームチェンジする、くらいしかチェンジしていなかったのが残念。フラメンコはまだ戦闘で活躍したイメージがありますが、他のフォームは本当、戦闘では「CG技」を出す以外にまったく活躍してなかったです。
 フラダンスやバレエなどで戦闘させると、デザインが複雑になるため労力が増すという意味では、先ほどの労力を割く話と噛み合わなくなってしまいますし、現状で作画の酷い回が出てきている以上、フォームチェンジして戦わせてあげられる体力が、東映さんにはなかったというしかないですね。バンダイから要請された要素かもしれませんが、それをうまく活かせず、作品の弱みみたいになってしまったのが残念で仕方ありません。もっとフォームチェンジを活用できていれば・・・(野球対決を応援するポップコーン・チアは素晴らしかった)。

 CG技も、本作からの試みでしたが、まぁ悪くはなかったかな程度の印象です。これといって効果的な演出だったとも思えませんし、「CG技をやろう」という方針があったからこそ、戦闘中のフォームチェンジが「CG」一本になり、戦闘中のフォームチェンジという多彩さがなくなってしまったと仮定すると、新たなチャレンジが別のデメリットを産んでしまっているので、それはどーにもこーにも複雑な気持ちです。
 新たな挑戦は大事ですし、それが改善されたり次に活かされたりするものです。CG技は、バンクとしては新しい形でしたし、良質なCGシーンがED以外でも見られるのは楽しかったです。しかしそれも数が出揃うまでで、種類の少なさに段々と飽きてきますし、そんな中でフォーチュンのあんみつこまちのように出番の少ないCGもあったりして、そのアンバランスさは、脚本のせいなのか絵コンテのせいなのかはわかりませんが、なんだかスタッフ間でうまく連携できていないのかなと疑ってしまうほどでした。
 イノセントフォームを使うようになると、フォームチェンジそのものがなんだか変化に乏しくなり、なおかつCG技もなくなるという、「ハピネスチャージらしさ」がどれもなくなってしまうという有り様。それでもイノセントへのフォームチェンジは一応していましたし、戦闘中に姿が変わるのは歴代でもあまりないので、まだ新鮮さはありました。
 でも、当初イメージしていたフォームチェンジは、それこそ仮面ライダーよろしく状況に応じて色んな姿に変わる、というものだったので、イノセントフォームは「上位技を使用するための形態」というだけで、フォームチェンジとはまた意味合いが違うような気がしてしまいます。同様のパターンというなら、ハートキャッチオーケストラのときのスーパーシルエットしかり、レインボーバーストのときのプリンセスモードしかり、ロイヤルラブリーストレートフラッシュのときのエンジェルモードしかり、フォームチェンジというよりは、どーしても「二段変身」っぽさがあるのが痛し痒し。

【総括】
 恋愛というテーマも、ファッション要素も、その他固有の要素も、基本的には楽しめたわたしですが、その半面、数々の挙げられている批判もわかる、という感想です。そして、それらはどーしても避けられない事情によって結果生まれたわけではなく、どーにかしようと思えばどーにかできたと思えるので(わたしの勝手な憶測ですが)、それがどーにかできなかった現状はちょっと残念ですね。もっといい作品になれた、という気がしてなりません。作画の悪さとかはどーにもできなかっただろうと思っていますし、そこへの批判は特に気にしてないんですがね。
 記念すべき10年目に、歴代プリキュアの挨拶もありつつ、賛否両論な作品になってしまったのはちょっと微妙ですが、映画のデキは素晴らしかったですし、基本的にわたしの感覚ではフレッシュプリキュア以後の作品は奇数作(ハートキャッチ、スマイル、ハピネスチャージ)と偶数作(フレッシュ、スイート、ドキドキ)は傾向や雰囲気が似ているなぁと思っているので、そういう意味では予想できる内容でした。奇数作は手堅く子供向け(妖精が似通ったデザイン)、偶数作は挑戦的で個性的(妖精も独自デザイン)という感じで、わたしの好みとしては偶数作の方が好きなことが多いです(全てが全てではない)。
 この概念があったとしても、ハピネスチャージは個性的なテーマや作風でしたし、必ずしも法則が当てはまると言うわけではないですが、妖精デザインなどから、概ねこんなムードがあるように思っています。東映さんやバンダイの戦略的にも、王道→挑戦的→王道という感じにするのはありそうな話ですからね。
 散々言ったわたしですが、一年見ても楽しめない作品がときどきある中で(こういう作品に出会ったときは最悪です)、最後まで楽しく見れたのは充分な戦果だったと思っています。プリキュアというネームバリューがそうさせたのかもしれませんが、やはり最終回の戦闘シーンは見ておかないと損をするレベルでしたし(ラブリーの笑顔は怖かったですが)、個人的にはプリキュアシリーズで許せないレベルにつまらないのはありましたし・・・(オイ)。作品名を明言するのは避けますが、その作品以上というだけで個人的には良作に入る内容だったと言えます。これ、褒めているのかよくわからない感想かもしれませんが(苦笑)。

 というわけで、ハピネスチャージプリキュア総括でした。

 これだけ感想・総括しても、自分の目から客観的に見て、なんだか否定的なことばっかり書いてしまった気がしてならないので(自意識過剰?)、すっごくポジティブに、そして俗っぽい感想をさせてもらうと、本作の中で好きなキャラはいおなちゃんです。空手という戦闘がかっこ良くなる技能を持っていて、なおかつ序盤はキツい性格という、ある意味でまこぴーに近いキャラクター設定、後に軟化してむしろボケキャラ化するのは、声優さん繋がりで某モミの木に見えるスタァを思い出しますし、そういう意味でも面白くて楽しくて、可愛くてカッコイイという、かなりわたしのなかで「プリキュアらしさ」のあるキャラクターだったなぁと思います(めぐみは、プリキュアらしいというよりはピンクプリキュアらしい、かな?)。
 変身バンク時にフォーチュンピアノを頭へガンガンするのはちょっと痛そうだなぁとか、ゅぅゃとかいう男はマジで何なんだろうと思いつつも、それほど憎い男でもなかったですし(そもそも描写が薄くて好意も敵意も抱けません)、色んな要素があって、そういう意味では一年間「楽しませてくれた」キャラクターでもありますね。序盤、中盤、終盤と出番にムラもなく、一番安定して描写されていたようにも思えます。何より、「スターバースト一本でいく」と言わんばかりの男らしい戦闘での立ち居振る舞いが最高でした。といっても、マイベスト・スターバーストは、映画での「みんなが飛び道具を使う中、一人だけスターバースト」のシーンですけどね。ああ、早く映画の円盤が発売して欲しいところです。
 オールスターズはいつも円盤の発売が楽しみなんですが、単独映画でこれだけ待ち遠しいのはわたし的にはすごく珍しいです。それだけでもわたしの中では「いい作品」でしたし、一応オールスターズでは直近の作品ということで出番が多めでしょうから、そこでの活躍も気になりますね。次のオールスターズはダンス多めということで、これまた東映さんの「チャレンジ」なので、期待と不安が入り混じっていますが、そこは見てから判断しても遅くはないでしょう。Goプリの活躍も気になりますしね・・・!


 楽しみすぎる劇場版!


 お蔵入りになった内容、変更された脚本など裏話がちょっと気になりますね。当初は買う予定がありませんでしたけど、やっぱりプリキュアのコンプリートブックは必買・必読・必至かもしれません。


 マイ・フェイバリットなキャラデザ高橋さんのプリキュアお仕事本! 表紙も裏表紙も美しすぎる・・・。


 レンジャーキー+ココロパフュームなコンセプトの新アイテム。でもその実態は極ロックシード+ゲネシスドライバーという、字面だけならなんとも物騒な感じに(笑)。
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大変興味深く拝読させて頂きました。

どこもかしこも「とりあえずハピネスチャージを叩いとけ」的な空気が蔓延する中、細かい所までしっかりと考察している此方のような記事はハピネスチャージ大好きな私としては本当に嬉しくかつ貴重に思います(なんか上から目線ですみません…;)

特にいおなの項で述べられていた「無秩序な害意」に関しては、現在プリキュア関連の掲示板で蔓延している「ハピネスチャージは叩いていい(駄作)」という半ば洗脳めいた集団意識にも通じるものを感じ、色々考えさせられました。

たしかに惜しい部分も多くありましたが、良い部分だってたくさんあった作品だと思います。
ファンならば「こうした方が良かった」という議論も勿論醍醐味ですが、同時に良い所はしっかり評価出来る気持ちの余裕を持って向き合いたいですね。

長文失恋しました。
2015/03/22(日) 14:48:31 | URL | 通りすがり #- [ 編集 ]
Re: タイトルなし
通りすがりのゲストさん、興味深くも嬉しいコメントをありがとうございます。また、お返事が遅くなって申し訳ありません(気づいてくれているかな・・・)。

害意うんぬんのところは、確かにハピネスチャージへの風当たりを意識して書いたところはありました。それに、SNS等を利用したネット上での感想というのは、いい方向へも悪い方向へも「過激」になりがちだというのはわたしの思っているところです。わたしは感想をする際、なるべくフラットな目線で、なおかつ「信仰、蔑視、衒学」しないということを特に意識していて、これはアニメに限らず、わたしが「感想観」を語るときには、言葉は違えど時々言っていました。

「信仰」とは作品を称賛・褒め称えるに留まらず、心酔し、作品を神聖視して、さながら教徒のように周囲へ布教することです。これはもはや入信の勧誘に近く、感想の域を出ています。「蔑視」とは見下げること、特に必要以上に貶めて社会的評判を地に落とすレベルのことを差します。攻撃欲や作品サゲを快感にしていて、感想とは別のところにいってしまってます。そして「衒学」とは、作品を利用して自分の知識をひけらかし、自分の知性を誇示するようなことです。それはすでに感想になってないんですね。わたしはちょっとこの「衒学」の傾向が強いと自覚しているので(ここのコメントもそうですが)、なるべく自重したくはあるんですけど、感想に説得力を持たせられますし、普段の語り口がこんな感じなので、ここに関してはもう譲れないところまで来ちゃっていると諦めてます(笑)。

どれも「感想」という局面ではたびたび起きていることであり、なおかつあまり褒められるものではないと思っているので、なるべくそのようなことは言わないでおこう、というのがわたしの持論ではあります。前述したように、ネットというのは、匿名というフィルターを通ることで、さながら増幅器のように、正の感情であれ負の感情であれ大きくしてしまい、「過激」になってしまう傾向が伺えます。

例えば、ある人は(うろ覚えですがお坊さんか霊能力者さんだったかな)ネットのような仕組みを「現代の呪い」だと評しました。発言がネットというフィルターを通ることでなんだか真実味を帯び、学校掲示板での「死んじゃえ」みたいな書き込みが相手に予想以上のダメージを与え、実際に自殺が起きてしまうこともニュースでは見受けられます。丑の刻参りさながら、「呪われている」「死を願われている」というリアルかつ強烈な実感を対象者は受けてしまい、その絶望感や恐怖感、強迫観念のようなものから自殺してしまうのでしょう。

他にもネット・フィルターの例として、ある借金苦にあえぐフリーターの「俺はプロの暗殺者だ」というイタズラ半分な書き込みが悲劇を生んだ事例もあります。その書き込みもフィルターを通じているため真実味を帯び、「本物だ」と信じた女が夫の暗殺を依頼したんですね。その女は非常に苦しんでいて、男を「本物の暗殺者」だと信じきっていました。その女の殺意・気迫にアテられるような形で、男も殺人を強行しちゃいます(実際に殺したかは覚えていませんが、男もお金に困ってましたから、報酬が出るのは魅力的だったことでしょう)。このように、男の発言(書き込み)がフィルターを通ったが故に、女は真剣に男へ依頼してしまい(呪いの発生)、男もその気迫で引くに引けなくなったのです(自殺などの悲劇が発生)。

このように、ネットというフィルターは実はかなり危険なもので、それこそ「嘘を嘘と見抜けないとインターネットを使うのは難しい」と言ったひろゆきさんがいかに的確だったかわかります。フィルターを通る発言の真偽などを、自分で精査する必要があるわけですね。想像以上に便利で危険なものを扱っていると、SNS利用者は改めて自覚する必要があるでしょう。

なんだか長々と、関係ない「ネットの危険」を語ってしまった感がありますが、この際なので(この際?)書かせてもらえるならば、フィルターを通ることで「同調意識」や「攻撃心理」なども増幅しちゃうのではないかと思うのです。例えば○○コンサルタントだの○○株式会社社長といった肩書にはなぜだか弱くて、彼らのつぶやく「このたび日本に初出店したブルーボトルコーヒーの味は西海岸で味わったものと同じだったよ」なんて台詞には、なぜだか意味もわからず平身低頭したくなる魔力があります。そんな人を「スカしてんじゃねぇ」と攻撃したくなる心理も理解できますし、「うわーすごいですね!」と同調することで、あたかも自分もそうであるかのように振る舞う心理も理解できます。名声に弱い人も確かにいて、同調することで自分を仲間のように見せたいのでしょう(カメレオンかコバンザメみたいな)。そういうフィルターの魔力に、我々は常にアテられながら実は生活しているんです。

アニメ感想についても、できるだけフラットな意見を心がけたいというのはもちろんですが、わたしはじゃっかんマイノリティ思考でもあり、世間的な評判の裏を敢えて選ぶようなところはあります。でも、ハピネスチャージについてはまさに総括の記事で語った通りで、フィルターの魔力なのか、やたらと攻撃したい人たちが集まって、攻撃心理も増幅させちゃっていたな、という印象がありました。さながら子供を傷めつけられて暴走する王蟲の群れのようです(ちょっと違う?)。

ナウシカに出てきた王蟲だと、「守るべき子供のため」という健全かつ涙ぐましい事情が垣間見えますが、実際そういう気持ちの人もいたことでしょう。シリーズが好きだからこそハピネスチャージが許せないというのは、個人の感想としては出てきても不思議ではありません。人には好みというのがありますからね。しかし、その感想はアニメの「蔑視」に近くなってしまい、さらにはそれがネット・フィルターを通じて「同調」や「攻撃」といった行動を呼び起こしてしまったならば、それはまさしく現代の呪い、負の悪循環大連鎖といったところでしょうか(悪口を言ってはいけないというわけではありません。蔑視と感想は違います。明らかに感想からかけ離れてしまっている「過度な」攻撃は蔑視と呼んでいいでしょう)。

そのようなことを起こさないためにも、わたしは感想は「信仰、蔑視、衒学」にならないよう気をつけていますし、わたしの書くことに共感してもらえるのは非常に嬉しいのですが、「いちオタクのちっぽけな感想」くらいに聞いてもらえるのが最良かな、なんて思っています。こうやってコメントをいただけることは励みにもなりますし、なんだかんだ嬉しい面もありますが、例えばこれが「あなたは神!」なんて言われるようになると、ちょっと怖くなりますもんね。アニメ感想なんてそんな大層なものじゃないんですから、話半分くらいに聞いておくのがちょうどいいもんです。肩肘はらず、我を忘れて攻撃色に染まるようなこともなく、ほわ~んと語れるのがアニメだと思っていますからね。・・・それにしては、わたしはちょっと語りすぎの熱いタイプの感想かもしれませんが(苦笑)。

「信仰、蔑視、衒学」をしないよう意識すれば、それは過度な称賛にも過度な悪口にもならず、結果として健全かつ建設的な感想に繋がるとも思っているので、そこはわたし自身、自慢であり個性でもあると自負しているので、そこを見ていただけていたのはタイヘン嬉しいです。最近ペースが落ちているのは悔しいところですが、まぁボチボチとわたしのペースでわたしなりの感想は続けていくつもりなので、暇なときにはテキトーに覗いてやってください。
2015/03/30(月) 02:37:37 | URL | itimonji #- [ 編集 ]
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