寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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映画 ラブライブ! The School Idol Movie 感想
ラブライブ映画

 7/1に一回目を見て、二回目を見れたら感想を書こうかなぁなんて思っていましたが、個人的スケジュールの面からどうやらそのチャンスがなさそうなので、見切り発車的に感想を書いちゃおうかと。ストーリーの流れなど細部に記憶違いがあるかもしれませんが、要所は押さえてあるはずなのでご容赦ください(白目)。

【あらすじ】
完全にTV版二期から続いた構成になっている本作。花陽ちゃんの大暴走を追って部室へ戻ってきた面々ですが、彼女が聞いて衝撃を受けていた朗報とは、「ラブライブのドーム大会が開催されそう」とのことでした。ドーム開催実現のためにはラブライブ優勝者であるアライズやμ’sの協力が必要不可欠で、その打診がμ’sにも届いていました。そんな中、アメリカでもスクールアイドルの気運が高まりつつあり、そこのイベント(?)か何かに出ることで、さらなる知名度向上を狙うことに。本作のひとつの目玉でもあった「μ’s渡米」はこのためでした。

無事イベントを終えて帰国すると、その大成功に裏打ちされたように、世間はスクールアイドル(μ’s)が大ブームに。一躍時の人になった穂乃果たちでしたが、そのことが彼女たちに次なる問題「μ’sを続けるかどうか」に直面させることとなりました。しかし、μ’sについては、テレビ本編で「ラブライブ本線で終わり」と決心していましたし、アメリカでのイベントは特別としても、すでに約束を反故にするようなことをしちゃっていた彼女たちでしたが、みんなの意見はほとんど固まっていました。アライズのつばささんから話を聞いたりして、自分たちなりの答えをしっかりまとめたμ’sは、次なるイベントで新たな曲を提案。それは「スクールアイドル」の歌でした。イベントそのものも「スクールアイドル」を賛美する内容で、そのことは彼女たちのポリシーでありスタンスであり、「μ’s」の在り方を示す内容となりました。

最後にμ’sの解散ライブにて映画は終了。見事に有終の美を飾る内容でしたし、歌詞にあったとおり「今が最高!」なことがじゅうぶんに伝わってきました。その分、ラブライブというコンテンツの「これから」が気になってしまうわけですが、どちらにせよ、ファンなら今後も目が離せないコンテンツとなるでしょう。


【第一章/μ’s渡米・Angelic Angel】

ここからは、本映画を挿入歌の数に照らし合わせて各章ごとに区切って解説・感想していこうかと思います。この方法だとじゃっかん分け方が奇抜になってしまうかもしれませんが、それはさておくとして、まずはPVなどでも大きく取り上げられていた「μ’s渡米」についてですが、初見時、というか映画を見る前の印象としては、劇場版けいおんのような感覚があり(そちらは未視聴)、脚本も同じ花田さんですから、わたしの展開する持論その1「キャラが移動すれば話も動く」という方法論を用いた内容だろうという予想で、それはあながちハズレではありませんでしたが、「渡米」がそれほど大きな意味を持っていたわけでもなかったのが肩透かしというか意外でした。むしろ虚を突かれた内容で、予想をズラしてきた点においては感心しましたが、重要性を欠いてしまったがために、「渡米は絶対に必要だったのだろうか」という新たな疑問も感じてしまったのが実際のところ。

まず、わたしの展開する持論その1「キャラが移動すれば話も動く」について簡単に説明させてもらうと、たいていの場合、主人公というのは本拠地を持っているものです。それは秘密基地だったり、自分の家だったり、はたまた部室や事務所やサークルだったり様々ですが、つまり本拠地というのは話のメイン舞台であり、ほとんどの場合、メイン舞台を土台かつ中心とした話作りを基本としています。主人公が毎回変わるオムニバス形式や、常に移動しているロードムービー形式だとその限りではありませんが、そのどちらであっても主人公に本拠地的なものが設定されていることは多く、ロードムービーだとしても、バイクだったりキャンピングカーだったり、主人公が「本拠地と考えている場所」は存在します。ベッドのような安息の地は、主人公が違おうと常に移動してようと、ほぼ必ず存在しますからね。そして、そこから移動すればするほど、主人公たちは大きな物語に巻き込まれる、または首をつっこむことになります。

本拠地というのは、それだけ主人公にとっては大事な心の場所であり、話の中心であると同時に、「そこから離れる」ということは、相応の理由や動機が必要で、だからこそ「物語が動く」んですね。ちょくちょく福岡から上京しているわたしの経験則から言わせてもらっても、それはやっぱり事実で、上京する目的、飛行機に乗ったり、宿を予約したり、普段とは違う固さのベッドで寝たりと、それだけで色んな「物語が動いた」と言えます。なので、それが海外ともなれば展開は否応なくツイストし、だからこそ、さぞや大きなことが起こるんだろうと予感していましたが、これが意外や意外、本作はむしろ渡米は前座のような扱いで、そのことに何より驚かされました

映画という都合上(あらすじや宣伝PVの兼ね合いなど)、やはり普段より華やかさが欲しいところですし、ニューヨークの街並みや夜景はそれに最適な景色でしたが、ストーリー的な意味合いとしては、「イベントに出演して人気をさらに高めた」ことと「穂乃果ちゃんが謎のシンガーと出会う」くらいのもので、むしろこの記事で言えば第二章にあたる「日本でのイベント」への布石としての役割が強かったです。ラブライブはストーリー性を抜きにしてもキャラクターを前面に出すことが多いですし、むしろそれは推奨してしかるべきでしょう。舞台が海外ということは、海外特有のカルチャーギャップや、「旅行」ということによる様々な事象と、それに対する各々の反応などが見れるので、キャラクターたちの新たな魅力を引き出す上でも有効な手段だったとは言えますが、それはけっきょく移動する舞台はどこでもよかったと言えますし、自由の国アメリカならエンタメ的側面から見ても適してはいましたが、ほんとそれくらいの理由しかなかったのは斬新というか何というか。

もちろん、予想を裏切られた楽しさはありましたが、それと同じくらい落胆にも似た肩透かしを食らった感じもありました。だからといってどこの国が適していたかとか、旅行以外で「華やかな絵」を用意でき、なおかつキャラクターの魅力を引き出す術が見当たらないので、渡米以外の選択肢はなかったとも言えますが、想像していたような程度の安直な「渡米要素」しかなかったのも残念だったというか。どうせなら、予想を裏切ってくれるというよりは、「はるかに上回ってくれる」内容がよかったというのが本望ですが、スマブラのディレクター桜井さんいわく「ユーザーの要望は無尽蔵」といいますし、これは仕方ない現象なのかもしれません。ですが、かつてのアップルCEOジョブズさんに言わせれば「ユーザーの欲しいものは形に出してやるまでわからない」とのことですし、このわたしすら正解のわからない素晴らしい展開は、きっと存在していて、本当はそれが用意できたように思えてなりません。うーん、なんだろう。

渡米→新曲披露・スクールアイドルの地位向上・謎のシンガー登場、ということ以外に、もっと「必然性」と「重要性」のある展開も加えられていればよかったのかもしれません。ラブライブは、一期のときも「オープンキャンパスで人気を得よう!」とか、「文化祭のライブで弾みをつけよう!」とか、「予想以上に入学希望があって廃校回避!」とか、次の展開のためにけっこう簡単に物事が動く感じがあり、一応の理由付けはされているのですが、それが本当に申し訳程度というか「一応」っぽいのが常々気になっておりました。悪く言えば「ご都合展開が多い」というか。

今回の渡米も上記の理由付けにはなっていたのですが、あくまでその程度、しかもけっこう急な展開。必然性や重要性を付与するのであれば、渡米の理由を絵里ちゃんがその場でいきなり提案するのではなく、例えばいったん解散後(ミューズ解散ではなく、その日は帰宅するという意味)、穂乃果の家に郵便物が届いているとか、アライズが話を持ってくるとかで「これだ!」という展開にするとかでしょうか。「必然性」というのはちゃんとした「前振り・布石」などがあって確立されるものなので、いくら正当な理由や動機があろうとも、「前振り・布石」がないと急な展開、はては「超展開」や「ご都合展開」に見えてしまうものなんですね。

重要性を付与するのであれば、アメリカでのイベントをもっと詳細に描くとか(本作だとライブシーンのみだった)、むしろテレビ番組にしてしまって(本当はそうだったかもしれませんが、何分イベントの詳細がわからないので)、女性シンガーもストリートではなくメジャーデビューしているアーティストにしてしまってもよかったかもしれません。「ストリートで運命的に出会う」というシーンは描けなくなりますが、メジャーデビューしたアーティストでも「一人でも音楽を続けるアーティスト」を描くことはできますし、穂乃果にとってのキーパーソンとすることは可能だったでしょう。その代わりに、あの幽霊っぽい演出はできなくなりますが。ラブライブは、洋画や海外ドラマをモチーフにしていることもあるので、このシーンやこのキャラクターは、そこからのオマージュ、もしくは京極監督のこだわりのあることなのかもしれませんが、とりあえずイベントではなく「テレビ番組」、ストリートミュージシャンをプロにするだけでも、「必然性や重要性」は加味させることが可能でしょう。そうしなかった致命的ミス、とまでは言いませんが、あえてそうしなかった作為的な思惑は感じるので、アレはアレでよかった、という感想ですけどね。

ラブライブは、監督の感性や特有のノリによって成立していることも多く、テレビ本編の一期二期でも、ところどころツッコミどころがありながらもここまでやってこれたのは、それらが絶妙に噛み合っている結果ということはあり得ます。なので、わたしの気になったところを改変したからといって、それが成功するとは言えませんし、けっきょくは「わたしの考えた最強の展開」みたいな自分勝手な夢物語と言えばそれまでです。ですが、大成功していればそれが最善なのかというと疑問ですし、先日感想を書いたアベンジャーズEOUだって、ほぼ大満足でしたけど気になるところがないわけでもありません。全員が全員手放しに喜べる作品なんてなかなかないですし、特にわたしは難癖つけマンである場合がほとんどなので、生粋のファンの方には喧嘩を売っている形になるのかもしれませんが、渡米はやっぱりμ’sにとって大事なことであったと思いますし、「あれだけ」の理由付けやその後の展開への前振りだけじゃなく、もっと大事に、そしてもっと重要性を持たせて欲しかったというのが本音ですね。


【第二章/スクールアイドルとは・SUNNY DAY SONG】

イベントで大成功を収め、帰国したμ’sを待ち受けていたのは、まるで凱旋したスーパースターのような扱いでした。世間はμ’sの話題でもちきり、サインをねだられ行列ができるなど、多少ギャグ的な誇張があったものの、イベントの大成功がいかに大事だったかをわからせてくれます。このお陰で渡米の重要性が描かれていたといえばそうなのですが、ギャグ的演出だったこともあって、いまいち「え、あれで?」という感覚が拭えません。でも、彼女たちもそういう心情だとを考えると、ある意味視聴者が彼女たちと気持ちを共有できる展開だったと言えなくもありませんね。

μ’sの広まりっぷりは、映画の大ヒットもあって、現実世界でのラブライブの人気を反映したような扱いになっていて、もはや映画の内容は現実世界の予言だったのか、それとも現実がラブライブ的なギャグ展開になっているのか混濁しそうですが、どちらにせよ、ラブライブのブームっぷりは凄まじく、そこが映画内のμ’sとシンクロしていたので、見ていて「現実みたいだなぁ」という不思議な感覚になりました。なので、μ’sのメンバーがその状況に呑まれたりしているシーンは、各キャラを演じているキャストさんたちの心情に思えたりして、なかなかメタ的な展開でもありましたね。それでいて本編ではこの状況がとても重要で、かつ彼女たちの今後を左右する展開にもなっていました。ギャグ的でありながら、それが真剣な、いわゆるシリアス的な内容にもなっているのは個人的には好きな流れでしたし、このあたりからむしろ本作の本領発揮といったところでしたね。

だからこそ、渡米の前座感も凄まじいのですが、それくらいこの中盤以降が重要なので、尺的にもアメリカ編はあれくらいの扱いが妥当だったのだろうと納得するしかありません。もちろん、無理に納得する必要もないのですが、アメリカ編がなかったらなかったで、やっぱり映画特有の「華やかなシーン」だったり、渡米という「特別感」を失ってしまって、日本国内だけのこじんまりしたスケールで話がまとまっちゃいそうですし、それはそれで寂しいですから、渡米というのは「スパイス」としてアリだったのでしょう。それに、ギャグ的ながらμ’sが大ブームになるためには、海外での「成功」という名目がないと難しいのも理解できますからね。ラブライブ優勝の時点でそれくらい話題になってもいいんじゃないかとは思いますが、アライズですらアングラというか、あくまで「一部で大人気」程度な感じなので、スクールアイドルに興味のない人もファンになる・注目するという現象を起こすには、「アメリカでのライブ」は必要不可欠な要素でしたね。それ「だけ」のためといえば、それ「だけ」のためだったかもしれませんが。

しかし、この大ブーム現象によって生じた「μ’sを続けるか否か」という問題は、思いの外大きく、そして深い問いかけとなって彼女たちを襲いました。とは言っても、一度はあの砂浜で決心した「ラブライブが終わったらおしまいにする」という宣言があったので、それを尊重するのが普通ですが、それすら凌駕しかねない世間からの猛プッシュやライブの要望が、彼女たちを揺るがしました。正直、あれだけ世間から求められたら、解散宣言を撤回したくもなるでしょうし、そういう結論を出しても非難はできないでしょう。それくらいの注目度や熱気や想いが彼女たちを包み込んだのですからね。μ’sの中でも、一時言い合いが起こりそうな雰囲気になりましたが、やはりあのときの砂浜での決意は変わらず。μ’sは解散すると決めた、あのときの尊い決断は変わりませんでした。このあたり、彼女たちの決意は本物で、さすがだと思う一方、それじゃあこれからどうするんだという問題に直面したのも面白い展開でした。かつての感動と決断を実行・遂行・続行するためには、現状を諦めねばならない状況だったからですね。まさに「あちらを立てればこちらが立たず」な状態。しかし、あっちも立たせてこっちも立たせる、そんな欲張りなのが彼女たちでもありました。

ラブライブのドーム開催にさらに弾みをつけるためのイベントでは、μ’sでもアライズでもなく「スクールアイドル」が主役となってライブをする、というのが結論になり、色んなモブのスクールアイドルが登場、みんなが一からライブを作り上げていく様子は、言わば文化祭的なノリではありましたが、「大勢の人が一丸となって奇跡を起こす」というのは、ラブライブというコンテンツそのものを象徴しているようでもありました。さらにこの展開の素晴らしいところは、アイドルとファンの関係ではなく、他のアイドルたちを際立たせる、という展開になっていたのが見事。つまり、「わたしが倒れても第二第三のわたしが・・・」というしぶといラスボスのセリフじゃないですけど、「スクールアイドル」という概念そのものを大事にして、その「スクールアイドル」たちが次の時代を作っていく、という、スクールアイドルに希望を抱いた展開だったのが最大の要点でありましょう。「μ’sは終わり」という決断の尊さを体現するために、「スクールアイドル」を賛美していたのが、この展開の盲点かつ核心的なところであり、なんとなくわかってはいても、実際に見せられて「やられた!」と思えるいい展開でした。これこそ、かつてのアップルCEOジョブズ氏の言う(以下略

この「スクールアイドル賛歌」は素晴らしかったですし、そのイベントを開催・成功させるまでの道程も美しいものがありましたが、肝心のライブ映像がほぼμ’s独占だったのだけは、なんだかモニョらざるを得ません。口では「みんなが主役」と言っておきながら、その見せ場をほぼ奪っちゃうようなズルさを感じてしまいましたね。劇場版シングルの第二弾ですし、彼女たちが主役の映画ですからμ’sがたくさん映るのは致し方ないですが、その他のキャラクターたちはほぼ飛び跳ねているだけで、ちょっとしたファンと変わりない扱いだったのは残念としか言いようがありません。CGを効果的に使ったりして、なんとか全員をデザインしてやろう・動かしてやろうという気概は感じましたが、それくらいが限界だったのか、ダンスしたり振り付けに組み込まれたりされていなかったのが、結果的には主旨に反した映像になっちゃっていたのではないでしょうか。まだ二期ラストの「Happy maker!」の方が「みんなでライブしている」雰囲気がありましたし、そんな感じを期待していたので、バックダンサー未満の扱いだった他のスクールアイドルが、アライズ含め可哀想でしたね。

特に「みんなが主役」ということが話の論点でもあったので、見せ場独占みたいな印象になってしまって、むしろμ’sに悪い評判が集まらないか心配なほどでした。記念撮影や、イベント後の雰囲気などを見ればあれが好評だったようなので、本人たちがそれでいいなら部外者のわたしは口を挟みませんが、なんだかすっきりしませんでしたね。曲の爽快感や映像の綺麗さとは別のところに引っかかってしまうのが、個人的にはモニョり続けています。言ってることとやってることが背反しているというか。ライブシーン作成の労力的に、実現可能なレベルでなんとか作ったのかもしれませんけどね。


【第三章/μ’sの終焉・僕たちはひとつの光】

一応曲数の兼ね合いもありましたから三章構成で分けてみましたが、結論としてはほぼ第二章の時点で終わっていて、ここからは本当に有終の美というか、蛇足に近い内容というか、それを言うならこの映画自体が蛇足・・・というよりは「μ’sの終わり」までのロスタイムのようなものだったので、この三曲目に関しては(学年キャラソンは別として)それほどエピソード的なものはなかったですが、雪穂たちの語りから、この曲が「μ’sにとって最後の曲」であることが示唆されて、仮に今後曲が出ても、常にこの曲が「μ’s最後の曲」として頭をよぎることでしょう。ガンダム史にとっての∀ガンダムみたいな役目であることは間違いなく、それだけで非常に心に焼きつく曲でした。

映像もCGが今までとは一線を画すクオリティになっていて(どうやらこの曲だけグラフィニカ製?)、特に腕を挙げたときの脇あたりの造形などは、「これCGか?」と思いたくなるほど肉感的な造形で非常に素晴らしかったです。従来のCGモデリングを使用したらしいAAや、サニデイソンなどもじゅうぶん素晴らしかったですが、こと「CG」においてはこの僕光が至高でしたね。もちろん、CGに限らず映像全般が他曲を凌駕するような美麗さで、特にステージのSF世界を感じさせるような非現実的な空間は、ラブライブ特有のぶっとんだ表現ながら、「綺麗さ」を追及したという意味ではあれ以外に正解が見つからないというくらいのマッチぶりでした。

さらには、オークションに出品されているフィルムコマの高騰具合からもわかるように、「それぞれのキャラがアップで映る」演出がとにかく綺麗で、「Music S.T.A.R.T!!」のときにも見られた演出ではありましたが、それのパワーアップ版のような感じがありました。アイドルのPVやMVとかだと、ダンスをフルで見せるのではなく、芝居シーンが挿入されたり、ああいう顔アップが入ったりするので、もともとそちらを志望していた京極監督のことも考えると、あの演出は案外妥当というか、むしろ鉄板すぎるくらい鉄板なものでしたけどね。しかしμ’sにとって最後の曲、さらには劇場版ということで作画パワーも最高峰のものが投入されていて、歌詞には各キャラの名前が入れられていますし、そこであの顔アップは鉄板ながらファンならたまらないものでしょう。だからこそのフィルムコマ高騰だと言えます。ラブライブブームによる熱気もあるでしょうけど、それだけじゃない高騰の理由がちゃんとありますね。

そこからエンディングに流れこみますが、最後にラブライブのロゴでしめたのも憎い演出でした。LLという字が出てきて「ラブライブ」になる演出は、1stシングルのPVからあったもので、アニメ本編でもラブライブの会場で見れたりしましたが、それをここで持ってくるのは、これまた鉄板ながら「わかっている」演出と言わざるを得ません。個人的にはアイキャッチに使用されていた元気に文字が踊る方のロゴで、みんなの「ラブライブ!」の声も入っていたら感極まっていたかもしれません。まぁこの意見には賛否あるでしょうし、むしろ長年のファンにはLL→ラブライブ、のロゴの方が印象深いでしょうから、そちらを優先した感じですね。それに、この案に関してはおそらく映画で採用された方が判断的には正しいでしょう。ラブライブといえばこのロゴ、という連想をしたときに、アイキャッチの方を連想する人はあんまりいなさそうですからね。わたしの案は、ラストでみんなの「ラブライブ!」が聞きたくて、それを実現するためにはあのアイキャッチロゴを出した方が合いますから、それがよかったかなぁと思いましたが、そうではなく、映画でやったように無言とロゴで、しんみりするラストもアリっちゃあアリでした。

正直、あまりチマチマと突っ込んでもただの面倒な人になっちゃいますし、できたものを受け入れようという心意気でもあったので、あの映画はあの映画でしっかり完成されていて、特にツッコミどころはない、というのがわたしの感想ではあります。もちろん、突っ込もうと思えば上記のようにツッコんでいくことは可能ですが、それをしたところで不毛っちゃあ不毛ですし、ラブライブはその特有のノリや勢いのようなもので成立しているところもありますから、正直なところ、突っ込んだところが本当に突っ込みどころなのかどうかもわからないことが多々あります。それくらい個性的であることは間違いありませんし、鉄板な演出が多いと思いきや、意外と変わったこともやってきたりするから侮れません。わたしの好みとは微妙にズレているところがありますが、概ね好きですし、ひとつの完成形であることは間違いありませんから、あとは好みに合うかどーかという問題になってくるでしょう。

さらに言えば、これまでのヒットを見れば、そのテイストが多くの人の好みにストライクであることは一目瞭然ですから、結果的にこれらの舵取りは成功だったという結論が出せます。個人的にはちょっと気になるところもありますけど、概ね好きという結論が出ていますし、けっきょくそれがラブライブの強みでもあるんでしょうね。特有のノリや勢いがそうさせているのかもしれませんし、はたまたキャラや曲の魅力がそうさせているのかもしれませんが、「なんだかんだ言って好き」というところに落ち着くのがラブライブであり、それが強みなのでしょう。


【謎の女性シンガーと穂乃果の過去】
ニューヨークの街並みが劇場版特有の「華やかさ」に通じていると前述しましたが、それ以外にも映画特有の要素はありました。ラストライブの映像がすごく気合入っていたのも「映画特有要素」に含まれますが、ストーリー上のギミックとして、やはり「謎のシンガー」と「穂乃果の過去」も、普段では考えられないような、そして映画だからこそ挿入され、それによって映画らしさや、穂乃果の主人公らしさが獲得されていたように思えます。では、それらの要素はなぜ挿入されて、そしてどのような効果を発揮し、「映画特有らしさ」を出していたのでしょうか。その目的と実際の効果について、ちょっと考察してみます。ぶっちゃけ、もうそれくらいしか語ることもない(オイ

まずは謎の女性シンガーですが、ニューヨークでの「迷子→運命的な出会い」は、王道ながらいいシーンでした。むしろ日本でやるより自然でしたし、「自由の国アメリカ」ということを活かした登場と出会いだったと言えるでしょう。さて、その出会いはよかったとして、そんな彼女の扱いですが、名前もわからず、やっていることは「一人でも歌い続けている」ということくらい。かつて仲間がいたことが示唆されていて、なおかつ髪色や雰囲気などから、なんとなく「穂乃果の未来?」という想像を働かせてしまいます。そして同時に、このシンガーが何者なのかという疑念がわきますが、穂乃果がホテルについたときには忽然と姿を消していて、まるで幽霊のような扱いでした。ストリートライブをしていたときに通行人も見ていたわけですから、そんな安直な存在というわけではなさそうですし、「穂乃果の未来」を彷彿とするような、いわゆる「似た境遇の人」という線が濃厚ですが、ホテル前で穂乃果だけ駆け出す→女性シンガーは横断歩道前で立ち尽くす、というシーンはなんだか象徴的でしたし、現実的に考えれば「穂乃果の未来を想像させる似た境遇の人」で、多少オカルティックに考えるなら「無数にある穂乃果の可能性のひとつ」という感じでしょうか。

ラブライブはデフォルメなどの漫画的表現などを避けて現実的な描写にこだわっている感はありますが、突然ミュージカルになったりと現実味のないメタ的な演出もあるので、彼女もどのように判断していいのかわかりませんし、そもそも彼女の正体を突き止めることに意味があるのかもわかりませんが、「現実的」という点にこだわるのであれば、彼女は実在する女性なのでしょう。象徴的な彼女と出会うことで、穂乃果は決断するときに彼女を思い出すくらい、その出会いは影響力が高かったと言えます。何も知らない異国であんな運命的な、そして近いジャンルの人と出会ったら、例え境遇が似ていなくても影響力があるものなのかもしれません。

そんな彼女の出会いと多少リンクしているのが、本編冒頭などにも登場した、穂乃果の幼い頃のシーン。初見時は「動く木がすごいなぁ」くらいに思っていました。穂乃果の過去回想は、テレビ本編でも海未ちゃん勧誘時などに出てきて、主に「穂乃果という少女はどういう子なのか」を語るために描かれる場合が多いです。今がどんな子で、昔はどんな子だったのか。そして大抵の場合、「昔からこれだけ変わった」という論法ではなく、「昔から全然変わらない」という方法でそれらのシーンは使用され、現在の穂乃果を補強する説明になっていました。

正直なところ、穂乃果の「よぉーし!」や「ミューズ!」という力強い掛け声を聞くだけで、「ああ、ラブライブだなぁ」という実感が湧くくらい、彼女の彼女らしさはすでに身にしみているわけですし、今さら彼女のメンタリティなどを補強する意味があるんだろうかというところははなはだ疑問ですが、特に彼女の決断が揺らぎそうになったのは、本作でも難問中の難問「μ’sを続けるか否か」というところでしたし、そこで女性シンガーの再登場+幼少期の水たまりジャンプ再現が行われたことで、その決断がいかに重要で、穂乃果の中でもかなりの葛藤や力強い意志が必要だったか伝わってきます。

もちろん、彼女特有のまっすぐさは幼少の頃より健在でしたが、さすがにあの幻想空間で見た池は水たまりと呼ぶには大きすぎて、現実で起きている問題の大きさを実感させますし、「飛び越えるなんて無茶だろう・・・」と、諦めそうになってしまいます。しかし、子供の頃から変わらないまっすぐさ、そして女性シンガーの後押しがあって、穂乃果はそれを飛び越えようと駆け出します。幻想空間ながら印象的かつ象徴的な疾走シーンでしたし、映画特有の「華やかさ」もあり、ああやって幻想空間を違和感なく描ける分、ラブライブは単なるアイドルものよりやりやすいところはあるでしょう。普段からミュージカルのようなメタ的演出をしていることで、こういったシーンもすんなり受け入れられる土壌になっていたのは作戦なのか天然なのかわかりませんが、結果的に「映画らしい」テーマや絵を盛り込むことができ、これらの要素は大成功でした。

結果、映画らしいテーマを映画らしい壮大なスケールで、なおかつ幻想的で美しいシーンとして描くことに成功したので、女性シンガーや水たまりジャンプを描いたのは正解だったと言わざるを得ません。しかし、テレビ本編から伏線を引っ張るのが難しいとはいえ、どうにも「過去回想」というのは後付を正当化するための手法に見えたり、女性シンガーの存在が謎かつ唐突すぎたのは気になってしまいます。過去回想は、後付の後付臭さをなくす便利な方法ですが、昨今は多用されてきたこともあって後付臭さが拭えなくなってきていますし、テレビ本編からの伏線は気の長い話すぎて難しいとしても、冒頭いきなりの回想ではなく、例えば海未ちゃんやことりちゃんのような、第三者が回想するとか、アルバムを見て当時を思い出すとか、そういう「回想に入るまでの自然な流れ」ができていれば、回想の後付っぽさも薄れるかな、なんて思いますね。怒涛の流れから渡米までのテンポの良さが序盤の秀逸さでもあるので、その流れを途絶えさせてしまう恐れもありますが、どうにかして回想をスムーズに挿入する方法はあったようにも思えます。

女性シンガーの登場は第一章でも書いたことですが、いくら運命的とはいえ、登場と退場の唐突さが不自然すぎて、やはり彼女はオカルティックな存在だったのではないかと勘ぐってしまいます。彼女の正体は明かさず、なんだかよくわからない曖昧な存在とする方が色々と考えさせることができますし、色んな想像の余地があってわたしは好きですが、正直なところ女性シンガーさんの正体なんてどうでもいいというのが本音で、そこに想像の余地を残してどうするんだという変な気分でもあります。

それならば、ラストライブの直前の雪穂たちが新入生(?)たちに語るシーンは、タイタニックでのお婆さんの語りなんかを彷彿とさせて、μ’sのラストライブまでの経緯をすっとばしているので、むしろこのあたりの方が想像がふくらみましたし、いい「想像の余地を残した」シーンだったと思います。ラストライブを映像で見れたからといって、それがどのようなシチュエーションで、どのようなステージで行われたかはいまいち判然としませんでしたし、そのことはまだ「描く余地」として残っていて、それはまぁ今後何らかのコンテンツで描かれても描かれなくてもいいという、いいバランスで描かれたシーンでした。

女性シンガーさんとの出会いは運命的とはいうものの唐突でもありましたし、不自然さも目立ちましたから、この違和感を軽減するのであれば、せっかく「イベント」という名目があったわけですし、「審査員」や「特別ゲスト」みたいな形で登場させてもよかったのではないか、と思ってしまいます。イベントが完全に有名無実な感じで、「何のために渡米したんや」とツッコミたくなりましたからね。「新曲披露したからもういいでしょ」と割り切ってる感があるのは清々しいですし、尺の都合やテーマがブレないための措置だったのかもしれませんが、イベントらしさがまったくなかったのはいただけません。アメリカ観光や練習、女性シンガーとの出会いはあっても、肝心肝要のイベントの存在がまるで雲散霧消していたかのような扱いだったのはむしろイベントが可哀想ですし、そんな軽い扱いをするのもガッカリでした。そのための渡米だったはずですが、目的より手段の方に重きが置かれていたというか、本来の目的とは違うところにフォーカスが当たっていたというか、そのチグハグ感にはちょっと混乱させられましたね。ストリートでのライブという要素をそれほど重要視していたのか、それとも彼女の「落ちぶれた雰囲気」がそれほど大事だったのか・・・(ストリートミュージシャンを「落ちぶれている」と評定するつもりはないですが、プロと比べるとステージが違いますし、いわゆるスクールアイドルのような、プロではない舞台で好きにやっていることが大事だったのでしょうかね)。


【総括】
μ’sとして、スクールアイドルとして、ラブライブとして、ひとつの答えを提示することになった今回の劇場版。けっこうボロクソなことばかり書いてしまった感がありますが、見た感想としてはむしろ満足感の方が大きく、それはやっぱり楽曲やライブ映像、そして歌詞の素晴らしさがあるからでしょう。ライブシーンを物語のピークに持っていく道筋はさすがですし、やっぱりライブで盛り上がってこそのラブライブですから、色んなことを犠牲にしてでも、「ラブライブらしさ」は損なわれていなかった、それがわたしの最終的な評価ということになるかもしれません。

もともとテレビ本編のときも、それほど脚本に精緻さや巧妙さがあるアニメではなかったですし、けっこうオーソドックス、かつ時折奇抜なことをやるというのが大雑把な印象で、それについては映画でも揺らいでいなかったので、それも「ラブライブらしさ」となって確立されていました。そんなつもりがスタッフにあるのかないのかはわかりませんけどね。

というわけで、劇場版ラブライブ感想でした。

随分前の話ですが、一度ラブライブの一挙感想をして、ストーリーを深く考察しなおすために、二期前にもう一度一挙感想しようと企てていたことがありますが、二期すらもう随分前の話、5thライブや映画まで終わってしまい、6thライブすら視野に入る時期になってきたのは不覚を通り越して情けなく思いますが、映画のBDも発売されれば購入する予定ですし、その時期くらいには、改めてラブライブの感想をまるっとやりたいなぁと思う次第。どうせならば小説版(SID)なども含めてやりたいですね。

しかし、ぶっちゃけたところ5thライブのライブビューイング二日目に参加できなかったダメージは抜けきっていませんし(気にしすぎ)、スクフェスではラブカストーン無課金で1000個という大業を達成してモチベーションはダダ下がり、この映画公開による大フィーバーみたいな空気にはついていけないところもあるので(この時期に引退したというファンの人に共感しそうです)、あくまで予定は未定ということでよろしくお願いします。・・・いきなり予防線張ってるよコイツ。






各種SIDや劇場版サントラなど。ラブライブはBGMも秀逸なので、この機会に一期、二期、劇場版と揃えてしまおうかと考え中。それにしても、SIDのバレンタインは何があって発売中止になったのでしょうかね。この不穏な発売日変更は、VITAのゲーム発売時にも感じましたし、何らかの大人の事情により、何かとタイミングを合わせようとしているとか?
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