寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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映画 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 感想
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 愛を知る、全人類に捧ぐ。
 このキャッチコピーに関しては猛烈な異議を申し立てたいレベルですが、そんな日本向け広報への不満も忘れるくらい、内容は実に素晴らしく、ぶっちゃけにわかもいいところなわたしでさえじゅうぶんに楽しむことができました。ネタバレも含みますので、感想を見る際にはご注意下さい。
 (あの悪評高いアイアンマンを大きくフィーチャーしたメインビジュアルよりは、この画像の方がまだ適切で、内容を忠実に表現していると思いますから、これを採用しました)。

【あらすじ】
いきなりアベンジャーズの作戦行動から描かれる本作。最初のアクションシーンで一気に心をひきつけますが、そこで出てきた敵が持っていた「ロキの杖」など、なんとなく今後を予期させる導入になっていたのは素晴らしい。最初の事件が今後のストーリーにつながっていくという、実に王道な始まり方でした。ロキ自体は登場しないものの、彼も人気キャラクターではありますし、名前が出ただけでなんとなく笑ってしまうのは、彼の個性がなせる技でしょうか。

その敵組織から消えた双子は、トニー・スタークに個人的かつ強い恨みがありました。ロキの杖を敵基地で発見したスタークに最悪のビジョンを見せ、その恐怖にかられたこともあって、スタークは最強のアイアン軍団を作ることを考え始めます。しかし、不完全な感じにできあがった知能ウルトロンは、ウルトロン作成を管理していたトニー製人口知能ジャーヴィスを破壊。ソーの送別会に興じていたアベンジャーズに不完全なまま襲いかかります。このときのトニーのやっちまった感はなかなかにいたたまれず、彼のことを考えるとみんなから責められるシーンは胃が痛くなりますが、ここで開き直るように嬉しそうだったのが素晴らしく彼らしい。このくらいのメンタリティがなければ、これまでの凶行や(オイ)、ウルトロン作成は行わなかったでしょうからね。ある意味キャラブレのない、正しい反応だったと言えるでしょう。

意識をとっくにアップロードして逃げていたウルトロンは、逃げ出した双子と再会(?)し、彼らの事情を知ります。ウルトロンは自分の理想を語り、双子はその考えに賛同。アベンジャーズへの攻撃行動を開始します。彼らが次に狙ったのはキャップことキャプテン・アメリカの盾でお馴染みのヴィブラニウム。それを保有していた武器商人のところで蜂合わせることになった両陣営。ウルトロン・プライムはまたもや敗北を喫しますが、ワンダの超能力でアベンジャーズのほとんどが精神的ダメージを負って戦闘不能状態に。こういうとき、アベンジャーズはメンタル攻撃への耐性がないのが大きいですよね。なまじ強大なパワーを持った連中だからこそ、洗脳のような攻撃がかなりクリティカルです。その点、ホークアイのような人材が未然に敵の気配に気づいて幻視攻撃を受けないなど、アベンジャーズメンバーの一長一短がうまく描かれていました。

一応その場はしのいだように見えたアベンジャーズですが、超能力攻撃によってハルクが錯乱・暴走し、それを止めるためにアイアンマンが奮闘。ハルクが暴れたときの被害は敵以上でしょうし、それくらいに厄介で、スタークはハルクバスターを投入するほどでしたが、このときの怪獣映画のような暴れっぷりは爽快そのもの。状況としては暴れている味方を止めるという、なんとも不毛に見えるものですが、それくらいハルクは扱いにこまるもので、決して気楽にアベンジャーズの戦力増強になる便利キャラではないという表現にもなっていました。バナー自身、それを思い悩むのが今回のストーリーに組み込まれていましたし(というか”ハルク”のテーマでもあるでしょう)、見どころでありながら、どこか心が痛むシーンでもありました。

ホークアイの治療の際に出てきたチョ博士は人工皮膚の専門家であり、そこへウルトロン・プライムが脅迫にやってきます。再生クレードルによりウルトロンはボディを作り始めますが、それを突き止めたアベンジャーズは、なんとかボディを奪還。そんなとき、スタークとバナーはまた真のウルトロン完成のために動き出しますが、それを許すキャップたちではありません。ここでまた一悶着ありますが、そこへやってきたソーが、なんとエネルギーを与えてボディを完成させます。すると、あらわれたのはウルトロンでも、ましてやそこに宿すつもりだったジャーヴィスでもない存在・ヴィジョンでした。彼はロキの杖に入っていたマインド・ストーンの力を有しており、ソー以外誰も持ちあげられなかったムジョルニアを持ち上げるなど、そのパワーをさらりと披露。信じられる存在として仲間に加え、ウルトロンが企てる人類滅亡を回避するため行動に出ます。

ソコヴィアを最終決戦の地として、ウルトロンとアベンジャーズが激突します。双子のワンダとピエトロも、ウルトロンの真の野望が自分たちの目的と反することに気づき、アベンジャーズに協力。彼らの戦闘力は凄まじく、ホークアイに比べれば百人力という感じでした(オイ)。シールドのフューリーやトライキャリアも登場し、浮上するソコヴィアから住民たちを避難させ、最後にはソコヴィアを木っ端微塵にすることで地球への被害を軽減。最後に残ったウルトロンはヴィジョンとのタイマンに破れ消滅。無事に危機は去り、アベンジャーズの面々は新たな道を歩みはじめました。


【勇者か狂人か、トニー・スターク】
日本ではアイアンマンが人気ということもあり、また、今回の騒動の元凶と言えなくもないので、ポスターやメインビジュアルで大きくフューチャーされるのは不思議ではありませんが、むしろ今回のアイアンマンは終始失態ばかり。彼の株は下がる一方ですが、それが彼らしいといえば彼らしいから仕方ありません。こういう評価こそ彼にとっては最大の賛辞なのかも(苦笑)。

それに、彼は余裕ぶって常に軽口を叩いている印象がありますが、生来のビビりであるのはなんとなく伝わってきますし、ワンダによる幻視攻撃が、彼をウルトロン作成に駆り立てたところはありますからね。今回の全責任が彼にある、とは言えませんし、スタークの性格と技術力、ウルトロン完成時のバグのような現象、ロキの杖や中にあったストーンに利用されるように導かれたりと、不運が重なったといえばそうですし、ラストに登場したサノスのことを考えると、むしろ彼の手の上で踊らされていたと言えるかもしれませんね。

スタークの「平和を維持する軍団」というのは、最初に使っていたアイアン軍団からしてもいい発想ですし、アイアンスーツの進化を見ていっても、むしろそのステージに上がるのはそう遠くない未来でしょう。ただ、今回の件で評判が悪くなっているのもあり、今後そういったシステムを開発する上では課題が多そうです。トニーならそんな声は無視して作り上げるかもしれませんが(苦笑)。

彼の行動は、科学者としての性がそうさせたところもありますが、幻視攻撃によって恐怖心や心の傷を開かれたところが大きいでしょう。仲間愛や人類愛と言えなくもないですが、どちらかというと保身というか自己愛というか、それほどポジティブな感情から行動に出たとは思えません。アベンジャーズの他の面々も、自分の正義を信じて戦っていた感じはありますが、それが「愛」であったかは微妙ですし、キャッチコピーの「愛を知る全人類に捧ぐ」が、まったくどこにも当てはまらいのはもはや清々しい。完全に客を呼ぶためのキャッチコピーだったという感覚ですが、そんな些細なことは忘れるくらいの作品として仕上がってはいたので、そう細かいことは言いません。きっとこれが広報の狙いなのでしょうし、今後もこういう広報が増えると考えると、ちょっと萎えてきますが、今のところアントマンではそういうこともなさそうで一安心かな?


【復讐の双子とウルトロン】
彼らが結託した背景には、どちらもトニー・スタークが関与していました。双子は戦時中、目の前にスタークの名前が刻まれた不発弾が転がり、二日間死の恐怖に怯え続けた経験があり、ウルトロンも作ってくれたスタークのことがコンプレックスであり、彼と比べられると我を忘れて激昂する傾向があります。どちらも、自分の存在を揺るがす者としてスタークがあり、スタークが泡を吹くところを見たがって手を組んだところがあります。

しかし、復讐だけでよかった双子に比べて、ウルトロンは誕生の道程でバグが紛れ込んだこともあり、地球平和=人類抹殺という極論を展開。それについていけなくなった双子は彼の元から離れ、アベンジャーズとして戦います。いわゆる、「子供と小さな怪物」みたいなストーリーのテンプレートを踏襲していましたが、大抵の場合、そういう子供は自覚なく小さな怪物を育ててしまうのに対し、本作の双子は明らかに恨みを向けている人物がいて、最初から復讐のつもりで共闘していたところが違う構図になっています。復讐をするつもりがあったとはいえ、その手段、そして手を組んだ相手が最悪だったというべきでしょうか。悪になりきれない双子たちと違って、ウルトロンは自分を正義と信じて疑わない、よりタチの悪い悪党だったのです。

ウルトロン側も、よくありがちな「造物主への反逆」といった要素は意外と薄く、スタークへのコンプレックスを見せたのもヴィブラニウム争奪戦のときのみ。むしろその後は、「人類滅亡」という野望への執着と、未完成な自分に対して完成品であるヴィジョンへの嫉妬・対抗心のようなものが強かったです。ある意味ロボットらしいというか、ロボットとしての誇り・挟持があったように見えましたし、スタークと比べられるのは嫌でしょうけど、ロボットであることはむしろ誇らしく、その点に関して言えばスタークには感謝していたかもしれません。親へ反抗したくなるときは人間の子供にだってありますし、それとは別にして親への感謝というのは持っているものですからね。相反する二つの感情を持つのが人間らしいですし、その点、ウルトロンはロボットでありながら人間らしい精神構造をしていたのではないでしょうか。いきすぎたロボット至上主義だったので、世界平和=人類を守る、という思考回路にならなかったのが彼の悪党たる由縁でしょう。狼に育てられた少女でありながら、人間を愛し狼を憎むような精神構造になってしまった、という感じでしょうか。

ヴィジョンへ対抗意識を燃やしていたのも、同じような方法で誕生して、しかしより鮮麗され強大なパワーを持った彼が憎かったのでしょう。優秀な弟に嫉妬する兄の心境とでも言いましょうか。ヴィジョンはポッと出ながら、ムジョルニアを持ち上げるなど強キャラ臭を漂わせていましたし、ハゲマント(失礼)なのにカッコイイというのは嫉妬したくなる気持ちもわかります。だからこそ、そのあとウルトロン・プライムとヴィジョンが一騎打ちをするシーンは多く登場しますし、そのシーンがただ爽快でカッコイイだけではない心の戦いを感じました。ヴィジョンは正義と平和のため、ウルトロンは自分のプライドと心の平穏のため、お互い衝突していたのでしょう。

ウルトロン・プライムが初めてスクリーンに登場したとき、案外肉感的で、「トランスフォーマーっぽいな」と感じました。冒頭のアベンジャーズの戦闘シーンでも、生身のアクションながらCG感が強いところがあり、そういうちょっとした違和感として特に気にしてませんでしたが(超人的な動きを表現するなら、リアルとはかけ離れた誇張表現もアリでしょう)、今思えば、ロボットなのに人間らしい行動原理を持つ彼には、ああいう顔の表情や口の動きが、一番適した表現方法だったのでしょうね。監督いわく、キャストさんの表情などをキャプチャーしてつけた動きらしく、ウルトロンを「ただのロボットにしたくない」として人間のように表現するためのこだわりと、その声を選んだ采配はお見事。そういう意味では、3D吹き替えが時間帯の都合で見れず、2D字幕で見ることになったのは、むしろ監督が想定した本来の声を聞けたという意味で収穫だったかもしれません。同時にセリフがかなり省略されていたりしたので、吹き替えも吹き替えで見たい気がしますけどね(字幕と吹き替えには、それぞれメリットとデメリットがあるものですから)。


【凡人ホークアイの存在】
アベンジャーズを正義のスーパーヒーロー軍団と認識していると、彼やブラックウィドウに関しては場違い感がハンパないと感じることもあるでしょう。かくいうわたしもその気持ちはちょっとありましたが、マーベル世界にはタスクマスターのように人間でも強い輩がわんさかいますし、それほど不適格とも思ってはいませんでした。さらに今回の内容で、むしろ彼はアベンジャーズには必要不可欠だと確信したほどです。

キャップにソー、アイアンマン、ハルクと前線向けの人員が豊富な反面、補助・援護的な役割を彼が担っていて、戦闘機などを操縦したり、狭いフィールドで戦ったりするのは彼がその実力を遺憾なく発揮していました。家庭を持っていて、人間らしい身体能力のままアベンジャーズで戦う、というのは一番我々観客に近い存在と言えますし、同年代の男性だと感情移入もしやすいかもしれません。クライマックスの戦場で萎縮していたワンダ(スカーレットウィッチ)を勇気づけたり、それでいて「撃ち殺すか」なんてブラックジョークを言ったりと、一般人としてのコンプレックスを抱く姿が親しみを覚えるキャラクターでしょう。ブラックジョークも言えて、気遣いもできる・・・アベンジャーズの潤滑油な存在ではないでしょうか。


【本作を見るための知識】
わたしはアメコミはかじった程度の知識があるとはいえ、コアなファンや詳しい人から見ればまったくもって無知であると言っても過言ではありませんし、しかもアベンジャーズに関係する映画作品で言えば「アイアンマン」シリーズくらいしか見ていない有り様。前作のアベンジャーズすらまともに見てはいないのですが、そんな状況で見に行っても楽しめた、というのは、わたしが珍妙なだけではなく、本作がそのあたりにも配慮された作りになっていたからでしょう。

冒頭の「ロキの杖」しかり、フューリーの登場しかり、ラストのサノスしかり、知らないと「?」が浮かぶような展開は多々ありました。キャップの凍結睡眠を連想するような哀愁漂うセリフなんかも、「キャプテン・アメリカ」のことを知らなければ「なんのこっちゃ」です。しかし、「何か大事なアイテムなんだろう」「かつての上司かな?」「次の敵か?」「何か過去に?」みたいに、なんとなく想像できるようになっていて、それくらいの認識があれば視聴するのに支障がない、というのがうまい作りになっていました。あくまで、今回の話の根幹は、生み出されてしまったウルトロンを倒す、ということに重点が置かれていましたからね。

どうやら監督も、そのあたりは当然ながら気にしていたようで、「前作しか見てない人」「前作すら見てない人」も想定しなければならない、とインタビューか何かで言っていたようです。それがどれくらい達成されていて、どれくらいの成果を出したのかはわかりませんが、基本的に「説明しない」ながらも、それが「人」なのか、「事件」なのか、「敵」なのか、「味方なのか」くらいはわかるようになっていたり、それでいて「あ、ちょっと気になる」という感想をわたしが持ったということは、それなりに成功だったのではないでしょうか。ヒーロー集合モノは、そこから各ヒーローの作品へと逆流していくための間口にもなっていますし、そういうきっかけとしてアベンジャーズは、スーパー戦隊でいうゴーカイジャー、仮面ライダーでいうディケイドのように、うまくミックスして、それでいて元ネタ等を知らなくても楽しめるつくりになっていたと言えます。

もちろん、知っていることでニヤリとできた部分があったかもしれません。特にラストのサノスあたりは、アベンジャーズだけ見ている人ではチンプンカンプンでしょうし、むしろ他作品を網羅していても、「映画作品」だけで補完している人にはわからないかもしれません。マーベルヒーローに興味があり、原作なり何なり多少知識を仕入れた人であればわかるでしょうし、そういうところの面白さもきっとあるはずですから、アベンジャーズをきっかけの他作品へ逆流していき、またアベンジャーズに戻ってくる、といういい循環構造ができていると思います。それがヒーロー集合モノの面白さであり、アベンジャーズが成功している要因でもあるでしょう。


【小ネタや気になったシーンなど】
アイアンマンはトニーが失態ばかり犯しただけで、それほど戦闘シーンで活躍しなかったのがむしろ驚きでしたが、先行PVなどで見せていた両手を下げて構えたリパルサー発射や、ハルクバスターでの戦闘シーンは、それだけでもじゅうぶんに活躍したと言えるカッコイイシーンでした。というか、いわゆるフィギュア等で「本編再現」をやろうとするなら、それくらいしかめぼしいシーンがなかったとも言えますが(苦笑)。ラストのアベンジャーズVSウルトロン軍団の総力戦で、スカーレットウィッチを助けるようにアイアンマンがウルトロンを攻撃したシーンがわずかにあり、その一瞬は本当見逃しそうなくらい一瞬でしたが、その瞬間、二人は過去のことを精算し、わかりあえたのではないかと思えて目頭が熱くなりました。めまぐるしい戦闘の一瞬にその場面を挿入するだけで、それだけ多くのことが表現できていたのが素晴らしかったです。

ソーやキャップの体術も惚れ惚れしましたが、特にこの二人は今回コンビネーション攻撃がけっこうあり、シールドを叩いて超音波(衝撃波?)で攻撃したり、シールドをハンマーで叩いて飛ばしたりと、二人の個性がうまく合ったコンビネーションだったのがさすがでした。もちろん、それをするからこそのコンビネーションですし、ヒーローの共闘をよく「わかっている」と言えますね。キャップに関してはシールドを電磁石か何かで装着できるようになっていて、まぁただそれだけなんですが、それだけなのにカッコよく見えるというのがすごい。すごいを通り越してもはやズルいレベルです。

アメコミヒーローは、全身タイツだったりやたら巨体だったり体の色が変だったりと、色々デザイン的に因果な宿命(?)を持ったものが多いですが、そのことについては作中でツッコみが入ることもあります。それに、そのデザインは最初こそ衝撃を受けますが、見ているうちにいつの間にか慣れていて、馴染んでしまっている自分がいることがよくあります。そういう意味では、盾を武器にするキャプテン・アメリカも、最初こそ「なんじゃこりゃ」でしたが、本作ではむしろ一番カッコイイ等身大のアクションを見せてくれたんじゃないかと思います。さすがアベンジャーズのリーダー!

キャップつながりで気になったことと言えば、ソーの送別会のとき、余興でみんながムジョルニア(ソーのハンマー)を持ち上げようとするシーンがあります。スタークが試したときは、まず生身で→腕だけスーツ装着→ローディも手伝うという三段オチみたいになっていたのが面白く、大抵はビクともしないのですが、キャップが持ち上げようとしたときだけ、ソーの表情が険しくなり、ちょっとヒヤヒヤしていたのがこれまた面白かった。同時に、何か伏線的なものを感じずにはいられませんが、確かスピンオフのコミックか何かで、「キャップがムジョルニアを持ち上げる」話があった気がして、そのことを思い出しました。アベンジャーズ関連でその話があるかはわかりませんが、その作品のことを連想できるようなシーンが挿入されていたことに、ファンサービスだったり作品への愛だったりを感じましたね。このシーンはギャグでありながら、そういうサービス(伏線?)、そして「ヴィジョンが軽々と持ち上げる」シーンとの対比になっていたりと、非常にうまい、そして重要なシーンでした。ムジョルニアがソーにとって重要だからこそ、それに関するシーンは重要でないわけないんですね。むしろ、それをギャグ的に表現していたのが洋画の軽快な雰囲気っぽいというか。


【総括】
まとまりのない感想になっちゃっていたので、ここでまとめさせていただくと、「前作や周辺作品は気にせずに見ても大丈夫」な仕様になっていて、じゅうぶん満足できる内容になっていた、ということに尽きます。しかし、これはちょっとハードルが高く、多少「アメコミヒーローに興味」がないと、見るのが辛いところはあるでしょう。マーベルヒーローたちに興味があり、しかしどれから見ていいかわからない・・・そんな状況であれば、とっておきの作品であることには違いありません。もちろん、前作アベンジャーズもそういう立ち位置にはあったと思いますが、やはり現状最新作ということですし、場合によっては3Dで見るのもアリでしょうから、これを機にマーベル・デビュー、なんて人には最適かもしれません。ここから他のヒーローたちを知っていくにはいい窓口ですからね。

もちろん、わたしもマーベル・ヒーローは大好きですし、そんなわたしには大満足以外の感想はあり得ないでしょう。想像していたタイプの話とは方向性が違いましたし、ヴィジョンの登場などは想定してなかったので驚きましたが、それらがけっきょくはいいバランスで組み上がっていて、さすが多額の製作費で作られた洋画は、映像だけでなく脚本など、あらゆる面で隙のない内容になっているなぁと実感しましたね。わたしは比較的、挑戦的でマイノリティな内容を欲する傾向にあるんですが、ときどきド安定の王道を味わいたくなるもので、そういう面倒くさい自分にもピッタリな作品だったと思います。

というわけで、アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン感想でした。

余談かつ蛇足ですが、何気に今回の収穫物のひとつは、本編開始前にあった「アントマン」の告知を大画面で見れたことでしょうか。もともと公開が決まったときは日本での公開は決まっていなかったはずで、「あー海外だけズルい」なんて思っていましたが、無事日本でも公開されることが決まり、狙ったかのようなタイミングでアニメ「アルティメット・スパイダーマン」でもアントマン登場回を放送したりと、アントマンプッシュに余念のない展開に惚れ惚れします。「小さくなる」というだけなのにやたら壮大な展開だったり、迫力のある映像だったりするのはかなりインパクトが強く、プラレールに轢かれそうになるシーンは白熱したシーンなのか笑えばいいシーンなのかわからず、そんなアンビバレンツな感じがクセになりそうですね。娘のためという動機はホークアイのような「凡人視点」をもたらしてくれますし、スーパーヒーローといえど「スーツ」にパワーがあるため、いわゆるキャップやスパイダーマンとは違い、アイアンマンのような本体自身は生身の人間というのも、また珍しいタイプなのがいいですね。

アベンジャーズはもともと3部作構成らしく、3部目はしかも前後編のようで、2018年にPart1、2019年にPart2を予定しているとか何とか。その間にスパイダーマンやらキャップのシビル・ウォーやらをやるようですし、今後もマーベルからは目が離せませんね。可能な限り見ていきたいですし、なるべく過去作も網羅していきたいところです。アベンジャーズにあまり関係ないX-MEN系やファンタスティック4とかもね。


何気なく検索してみたら、まさかアントマンのちっちゃいムービーマスターピースが発売するとは・・・!






本作で登場したキャラクターたちのムービーマスターピース! そういえばアイアンマンは、最終決戦でマーク45になっていたようですが、デザイン的に流線が増えて筋肉質な見た目になった以外に、何か特徴的な変化はあったんだろうか・・・? いわゆるオーソドックスなアイアンマンくらいの特徴しかなかった気がするので。
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