寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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シンデレラガールズに見られるアイドル論とシンデレラ観・前編
デレマス
アイドルを題材とした作品を語る上で避けられないであろうタイトル「アイドルマスター」。そんな本筋の外伝的な立ち位置として登場した「シンデレラガールズ」のアニメが先日最終回を向かえました(いつの話だよ)。各所で、それどころかファンにまで色々な波紋を起こした仕上がりになった本作の是非や注目すべきポイント、含まれていたメッセージ性などを、わたしなりに解釈してみます。基本的には肯定的な意見となる予定ですが、いつものスタンス通りツッコむところはツッコみますし、世間的な一般論として何が好評・悪評だったのかも分析していこうと思います。わたしの考えが及ぶ限りの範囲になりますが・・・。

●概要・アイドルマスターシンデレラガールズとは
読んでくれている人にはこの前フリは不要かもしれませんが、一応本作の立ち位置の整理とわたしの理解度を披露するという意味でも、あえて本作がどのような存在かを前もって説明しておこうと思います。

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そもそもの本家である「アイドルマスター」はゲームセンターのアーケードゲームが当初のコンテンツの姿であり、プレイヤーはプロデューサーになりきってアイドルとの恋愛(?)やプロデュースを楽しんだりする内容でした。昨今のアニメではハーレムもの自体が少なくなっていき、特に「アイドル」が題材だと男の存在そのものが禁忌なところもあったりしますが、最初のテーマがテーマだけに、「男性一人+女性たくさん」という構造になる懐かしのハーレム的人数比が見られる作品です。

本家アイドルマスターは「765プロ」という事務所が舞台で、アイドルたちが「徐々にランクアップしていく」ことが前提にあるためか、そこそこ小さくてお金がなさそうな事務所、という設定でした(ゲーム、アニメなど媒体ごとに設定に差異があるのはご愛嬌の上、割愛させていただきます)。

それに対して、「シンデレラガールズ」はモバゲーに登場したソーシャルゲームであり、「そこらへんにいる少女」がアイドルになる「シンデレラ・ストーリー」がテーマにあるため、たくさんの平凡(?)な少女たちが登場し、そんな少女たちがアイドルになっていく過程やその後を楽しむため、当初の「アイドルとの恋愛」を楽しむことはもちろん、「彼女たちのアイドル生活」を応援する・見守っていく楽しさがあると言えます。謳い文句も「100人以上のアイドルがあなたを待っている」という、人数の多さにモノを言わせたところがありますからね。それだけキャラ付けし、描き分けているのはさすがの一言ですが。

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そんな芸当を弱小事務所ができるわけがない、という逆説的な理由からか、シンデレラガールズの舞台「346プロ」はお金持ちの大きな事務所。よって、「765プロ」にはできない話ができるという意味でも、いい外伝であり、しかし規模としては「もう一つの本筋」と言っていいくらい大きくなったこのコンテンツが、アイドルマスターシンデレラガールズなのでした。ナムコ=765のように事務所名が数字の名前にできたこともすごいですが、美城=346というのもシンデレラ感があって素晴らしい。

●アニメ化によるプロデューサーの造形
これはアイドルマスターに限らず、主人公のデザインや性格が具体的に描写されていない「恋愛シミュレーションゲームのアニメ化」などでも見られる弊害ですが、やはりゲーム時は「プレイヤーの分身として投影しやすいよう」無個性なキャラクターとして描かれることが多い主人公を、しっかりと確立したパーソナルとして具現化する必要があるからでしょう。しかしこのバランスが難しく、アニメ化の際にゲームのプレーヤーだった視聴者がアニメ版プロデューサーに想定と違った印象を受け、イメージの乖離から「これは違う」と否定的な立場に回ってしまうパターンは想像に難くありません(実際そのような末路を辿ったアニメもあることでしょう)。

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本家アイドルマスターのアニメ化のときも、プロデューサーのデザインなどはみんなが戦々恐々としていたところでしょうが、出てきたプロデューサー(通称・赤羽根P)は、メガネをした熱血な好青年。ときどき失敗する未熟さの残る仕事ぶりも完璧系よりは親しみが持てますし、彼をこのような性格に落とし込んだスタッフの手腕は素晴らしかったです。

さて、本題である「シンデレラガールズ」のプロデューサー(通称・武内P)ですが、こちらもまぁ実際に見るまでは不安で仕方ありませんでした。しかし、もともとシンデレラガールズのユーザー間でも、やたらと色んな場所からアイドルを勧誘してくるデレマスのプロデューサーは、「もしかしてコイツは相当な不審者なのでは?」という共通の疑問が浮かんでいて、それをうまくキャラクターとして昇華させたのがアニメの武内Pだったと言えるでしょう。

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目つきが悪く、声も貫禄を感じるくらい低いトーンで、1話でヒロイン渋谷凛をしつこく勧誘した様子からも、ゲーム内のイメージそのままに、それでいて「最近の若者」をイメージしたような主張の弱さ、寡黙さなどが垣間見え、これまたバランスいい感じのキャラクターに仕上がったな、という印象でした。かつてのアップルCEOのスティーブ・ジョブズ曰く「客は欲しいものを実際に見るまでわからない」ということらしく、つまり我々は、武内Pというあのキャラクターを実際に見るまで、どのようなキャラクターがデレマスのプロデューサーに相応しいかわかっていなかったのです。アニメで登場して初めて、「ああ、これがわたしたちの思い描いていたプロデューサーなんだ」とわからせてくれたという、なかなか難しいことを、この作品はやってのけたと思っています。

アイドルマスターとシンデレラガールズでは、10周年と4周年というくらいの差がありますし、それぞれの出演キャストやファンたちにも年齢差が生じている頃です。ユーザーも「世代」という言葉で分けていいくらい2分してそうですし(どちらも兼ねたファンもいるでしょうが)、そういう意味でもプロデューサーの造形が「今風」にリフォームされた、と言えそうです(決して年齢設定等が「若い」という意味ではなく、あくまで「今風」の造形ということです)。

そもそも同じ「アイドルマスター」というタイトル内で、似たプロデューサーが二回出てくる方が、せっかくの外伝なのに代わり映えしない印象を受けますからね。舞台や時代やテーマが変化しているのならば、プロデューサーも雰囲気やベクトルを変えた方が、「その人たちでなければ紡げない物語」が描けるでしょう。シンデレラガールズ舞台で頑張る赤羽根P、というのも見てみたい気がしますが、そんなことは「もしも」で済ませておいた方が懸命ですし、やはり出来上がったものこそが「全て」ですからね。そこから、色々なものを感じ取っては色んな評価を下すのが、我々視聴者にできることでしょう。


●本作が伝えたかったこと・テーマとメッセージ
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作品というのはテーマやメッセージがあってこそですし、これは小説などで言えば最初の一文、もしくは最後の一文で要約されるものでもあります。ジョジョの奇妙な冒険でいえば人間は素晴らしいという「人間賛歌」、同アイドルアニメのラブライブでいえば「みんなで叶える物語」といったところでしょうか。わたしの愛する二大作品のうち、プリティーリズムでいえば「プリズムの輝きを胸の中に」、プリパラなら「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」といった感じで間違いないでしょう。

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本家765のアイドルマスターは劇場版があったので、ちょっとメッセージがブレる・・・というかTVアニメと劇場版で2つあるという感じがありますが、劇場版に限ればサブタイトルにもなった「輝きの向こう側へ」でしょう。「輝き」が何を差すのかわたしにはよくわかりませんでしたが、すでに人気アイドルとなった彼女たちはすでに「輝き」の中にいて、しかしそのさらに先を目指す・・・つまりいつまでも向上し続け、挑戦を止めず、前へと進み続ける、ということではないでしょうか。

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シンデレラガールズは分割2クールという方式で期間を分けて放送されたので、1クール目で尻切れトンボにならないよう、一応の最終回みたいな一区切りがありました。なので本作も最終話が二回あったようなもので、メッセージ的なものも2つあったと言えますが(厳密には、全てをまとめて1つのメッセージになりますが、とりあえずは2つ挙げます)、1クール目のラストといえば346プロが主催したサマーフェス。リーダー新田美波の不調によりラブライカというユニットが急遽メンバー変更でライブをするなどのトラブルがありましたが、最終的にシンデレラプロジェクト(アニメシンデレラガールズのメインメンバー)でライブをすることに成功。そこで本編中盤でトラブルを起こした本田未央がファンレターを読み、そこで「アイドル続けてよかった!」と言います。

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チームが苦難を乗り越える、というところにも注目したかったですが、それはあくまでサマーフェス内(本編終盤)で起こったトラブルとその解決。わたしとしては、未央のシーンこそが一番涙腺に来ましたし、本田未央というシンデレラが、その道から脱落してしまいそうだったのをプロデューサーが助け出したという意味では、未央、プロデューサー、そしてそんな未央を待った卯月・凛のチーム愛が光った1クール目だったと言えます(その他はアイドルやユニットの魅力や個性の紹介、キャラクターの掘り下げに終始していた印象)。

アイドルをやっていれば、勘違いするときや癇癪を起こすとき、未来に絶望して辞めてしまおうと考えるときがあり、しかし仲間やプロデューサー、そして応援してくれているファンを信じて続けていればきっと報われる時がくる、そういうメッセージを感じるラストでした。実に王道で、ひねりもない実直なメッセージだからこそ、素直に胸にガツンと届いたのかもしれません。未央の成長に貢献しただけでなく、プロデューサーもこのことを転機に、先述した「今風」の主張の弱さなどがなくなり、頼もしく感じられるようになるのもいい内容でした。未央のエピソードを通じて、「アイドルの素晴らしさ」と「主人公の成長」が描かれたわけです。

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そんな本作も2クール目に突入し、かなり様変わりをみせます。美城常務という上司が登場し、かなりの強権を発動して部署を減らしたり統合したり方針を変更させたりして、346プロ内には不穏な空気が流れ始めます。そんな事務所内のゴタゴタに例外なく巻き込まれるシンデレラプロジェクトですが、そんな2クール目のラストは、「全員ずっと一緒」だと思われたシンデレラプロジェクトメンバーが色んな場所で、ユニットだったり個々だったりで活動し、卯月、凛、未央擁するニュージェネレーションズも2クール目の間に見つけた別の道を進んでいました。しかし、それは「離れ離れ」というわけではなく、別々の場所であっても自分を成長させることはでき、それが最終的にはチームの活動に還元される・・・急がば回れじゃないですが、遠回りこそが最大の近道、ということを言いたかったような気がします。

あれ、こんな感じだったっけ? というか、せっかくのアニメのラストのラストで「急がば回れ」がメッセージでそれでいいのか、という気持ちはありますし、多分これは違うんでしょうけど、そう受け取ってしまいかねないラストだったのは否めません。では、なぜそのように感じてしまったのか。2クール目の本当のメッセージは何なのか、詳しく、そして徹底的に追及していきたいと思います(あくまでわたし個人の考えということはご了承ください)。


●2クール目の特徴・敵の登場
キャラクターの性格変化や乱暴・雑な展開などが指摘されてなかなか不評なイメージがある2クール目。イメージではなくそれは真実なのかもしれませんが(わたしはそこまで気になりませんでした)、では、なぜそのようなことになってしまい(そう受け取られてしまい)、メッセージが読み取りにくくなってしまったのか。1クール目からの変化などについても合わせて考えてみたいと思います。

唯一にして最大の変化といっていいのは、やはり美城常務の存在。彼女の登場が作品の雰囲気をガラッと変えてしまったことは間違いありませんし、彼女はシンデレラでいう「意地悪な継母」でしょう。やたらと「美城」の名前を意識しているところから、社長(会長、もしくは創始者)の娘という感じがしますし、そんな彼女だからこそ伝統を重んじ、「こうしたい!」という強い欲求のもと、部署の解体や統合などを強引に推し進めたと考えられます。名前が会社と同じ美城ということ、伝統や名前を意識しているところから、彼女の行動原理については理解が可能ですが、そんな彼女の強引な舵取りは、当然346プロ内で反感を買ったり、摩擦を起こしたりしました(ちなみに本家モバナス内のコンテンツ「no make」などは未見のため、それらで語られたことについては言及できないのでご了承ください。そういったコンテンツのリンクは本来大好きなんですけどね)。

武内P率いるシンデレラプロジェクトも、美城常務による強攻策の余波を当然のように喰らいましたが、そんな彼らが取った行動は、美城常務が納得してくれるようなアイディア・実績を見せ、シンデレラプロジェクトの解体を阻止することでした。これはまぁ、いわゆる学園モノでいうところの「弱小同好会」みたいなもので、自分たちの居場所を守る戦いという至極真っ当かつ王道なストーリーラインで、1クール目の「明確な敵」がいなかった状況からすると、なかなかスリリングな展開だったと言えるでしょう。作品がキリッと引き締まったと同時に、テイストが変化したのは間違いありません。

本家765だと事務所が小さいこともあって、事務所内で敵というのがあらわれませんから、別の芸能事務所961プロが、マスコミなどを使って攻撃を仕掛けてきたことがありました。しかし、これは小さな事務所である765だからこそ描ける物語で、逆に大きな事務所である346ならではの描き方というのが、この「内部分裂」とは言わないまでも、大手事務所にありそうな強行的な施策・運営方針・会社方針との戦い、ということです。

これまた、デレマスらしいアプローチだったので美城常務の登場はわたし的には歓迎でしたが、わかりやすい敵が登場したことによって、ちょっと作品の空気というか雰囲気が険悪な方向へ向いてしまったのはよろしくなかったかもしれません。本家765では961プロの一件は「中盤の山場」という程度でしたが、美城常務は同じ事務所内ということもあり、そして彼女自身が悪意なく「事務所のため」という動機で動いている以上、勧善懲悪的にこらしめることができないのはスッキリしないところですし、いわゆる「美城常務編」と呼称してもいいこの空気は2クールの最後まで残り続け(そもそも2クール目は美城常務編だった)、この空気が合わないという人には、2クール目そのものがまるっと「ダメ」だったように感じることでしょう(自分に合わないのをダメだと評するのは短絡的でしょうけど)。

961プロの一件のように「美城常務編」は2クール目中盤にはカタがつき、最後に卯月編を描けていればまた違ったかな、とも思います。そのときには改心はしないまでも、ちょっと雰囲気の変わった美城常務を登場させるとかで。わたしも、展開がスリリングになったこと自体は歓迎でしたが、空気がちょっと重くなってしまったのは懸念事項でしたし、それが最後まで残り続けたのは人によっては絶対に賛否があるなと理解していましたが、ではずっと暗いまま進行したのかといえばそうではありませんし、そんな美城常務の登場により、面白い化学反応が起きたのも事実です。

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一つは、「反・美城常務勢力」とでも言うかのように、色んな部署が手に手を取って頑張っていく様子が描かれ、その過程で今まで以上にたくさんのアイドルが登場したことです。お笑いアイドルたちがこれからの進路に困惑するようなシーンも、空気としては重かったですがそこで登場シーンがあったアイドルもいるわけですし、そんなアイドルたちのファン(プロデューサーさん)的には、「画面に映って喋った!」という喜ばしい部分でもあるでしょう。ファンサービスといってしまえばそれまでですが、シンデレラプロジェクトのアイドルたちは1クール目でけっこう深く描きましたし、それならばそれ以外のアイドルたちにもスポットライトを当てていく、というのは悪くない判断だと思いました。これもまた「デレマス」でしか描けない手法だったと言えるでしょう。

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シンデレラプロジェクトに対抗するような形で立ち上がった「クローネ」も、登場の経緯としては不穏な空気はありましたけど、それぞれのファンには嬉しいことこの上ないでしょうし、それはキャラクターたちも同じでしょう。抜擢されたことによって活躍のチャンスが得られ、アイドルとして前に進める・・・このチャンスが嬉しくないアイドルはいないでしょうし、美城常務の強攻策で追い詰められているアイドルがいる中(ウサミンやユッコたちなど)、逆に光が当たって喜んでいるアイドルもいる、というのが2クール目のミソでしょう。強攻策で強引で、他部署の反感を買う行動だったのは間違いない事実ですが、それが346にとっては化学反応となり、新たなアイドルたちが登場したのもまた間違いない事実です(この騒動がなければ、ナツナナの行動もなく、美嘉の葛藤と成長などもなかったわけですからね)。

最終話、プロデューサーと美城常務のポエムの応酬で「我々は平行線」というワードがありました。シンデレラとクローネが平行線というのは、コンセプトなどからまったくもって同意ですし、両者が決して交わらないプロジェクトというのもわかります。そして、平行線は「目指している方向が同じ」というのもミソではないでしょうか。美城常務は346の利益になることならウェルカムな姿勢でしたし、シンデレラのことも最後の舞踏会で認めた感がありました。だからといって常務が掲げたクローネを「負けた」と解体する必要もないですし、どちらにも所属しているアイドルたちは、そのままで行けばいいというのは常務的にも、そして2クール目の本質的にも核心ではないでしょうか。

では、なぜこれだけ(?)反感を買ったり不評があがったりしてしまったのか。それはやっぱり、美城常務登場による重い空気を嫌った人もいますし、彼女が起こした化学反応にアイドルたちが戸惑っている様子があまり楽しそうでなかったのは不評を呼び込みやすかったのでしょう。成長を描くのであれば、1クール目のように「新しいことに挑戦」させたり、「仕事での悩み」という小さな障害を用意すれば事足ります(小さな障害を越えていくのは部活モノやサクセス・ストーリーの常套手段です)。美城常務の方針に対抗するというのは規模としては大きすぎ、それこそお笑いアイドルたちは今後の人生すら左右しかねない事態に陥っていましたからね。障害が大きい方が乗り越えたときに燃えるというものですが、やはりアイドルものとして「敵」の登場で自分の立場が脅かされ成長する、というのは芸能界の汚さみたいなものが垣間見え(もっと内容をゲスくすることも可能だったでしょう)、アイドルもので男キャラがタブー視されているのと同じくらい、芸能界の闇を感じさせ、そのリアル志向が嫌われた印象はあります。それにしてはすごい配慮されていて、険悪になりすぎないよう気をつけられていた印象ですが、「万人向け」だったとは思いませんし、拒絶反応を示す人が出てくるだろうとは予想できる内容でした。

1クール目の未央のくだりも、後にアゲる展開があるとはいえ、険悪な空気などは見ていて心苦しいですし(それがまたいいのですが)、そういう展開に耐性のない昨今の視聴者のことを考えると、もはや「シリアス拒絶病」と言っていいレベルの症状が出ていると考えた方が良さそうです。しかし、「不満を抱いた人間に欠陥がある」というのは身も蓋もない上に強引な論理展開な気がしますし、それはそれで押し付けがましい気もするので、ならば本当に展開に欠陥がなかったのか、いわゆる「キャラが脚本の犠牲になっている」といった不評はいったいどこを差して言われていたのかなどを考えてみたいと思います。耐性のある理性的な方ですら、本作の展開に不満を抱いた人は多かったようなので。


●キャラクターは脚本の犠牲になっていたのか
たびたび超展開なストーリーになったときに言われる上記のような言葉ですが、これは本当にストーリーが突飛な場合もあれば、「言うほど犠牲になっていないような・・・」ということもあり、けっきょくのところシリアス展開に耐性のない視聴者が言っているパターンも多いです。ですが、そう一蹴にはせず、本作の山場の展開と、それに伴うキャラクターの心情、その推移などを考察してみます。

まずは1クール目の山場、いわゆる「本田未央事件」ですが(オイ)、あの事件の問題点を挙げると、まずは「未熟ながら城ヶ崎美嘉のバックダンサーに選ばれた」こと、そこで「未央が美嘉への声援を自分のものだと勘違いしてしまった」こと、それによるデビューライブの声援・観客の少なさに「未央がショックを受けてしまった」こと、さらには、そこでプロデューサーとの認識違いが起こり「あの客入りは当然の(良い)結果」という言葉を未央が悪く受け取ってしまったことが原因でした。

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不運の連続といえばそれまでですが、1クール目や2クール目、特に美波や蘭子のエピソードでは「挑戦すること」の大事さを描いてあって、そのことを踏まえるなら「バックダンサーに選ばれたこと」は何ら悪いことではありません。それがきっかけといえばそうですが、挑戦すること、ステップアップ自体はアイドルにとって歓迎こそすれ嫌悪すべきものではないでしょう。ついで未央の「勘違い」ですが、これはまぁ彼女のお調子者の性格が色濃く、そして悪い方に働いてしまったなという印象です。でも、卯月、凛と違って彼女がその勘違い現象に陥ってしまったのも、「彼女の性格ならでは」な部分がありますし、だからこそこのエピソードは彼女にスポットが当たったのでしょう。

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デビューライブで絶望していたのも、同じタイミングでライブをしていたラブライカとの対比という面がありました。デビューであれだけ(いい)反応をもらえた、と喜んでいたラブライカに対し、美嘉のバックダンサーを務めたニュージェネレーションズはちょっと調子に乗っていたこともあって、あれだけ(しか)反応をもらえなかったという感覚になってしまったのですね。対比のためとはいえ、この場面はむしろラブライカのデビューを心から喜べないという重たい空気の方が気になりましたが、ここでこういう手法でしか彼女たちのデビューを描けなかったという必然性は感じますし(なおかつラブライカはすでに人として成熟している感があったので対比にも最適)、他のユニットと対比させるよりは適任かつ自然だったでしょう。

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そこからプロデューサーとの認識の食い違いが、未央のアイドル辞める発言と、騒いだ挙句に戻ってくるという一連の騒動の流れになっていますが、未央は卯月、凛と違って第1話で描写されていない分、この時点までに多少描かれていたとはいえ「どんな子なんだろう?」という感覚がまだ残っていました(原作をプレイしているとは言っても)。なので、ここで未央にスポットを当てる采配は描写バランスの面からも悪くありませんでしたし、この「辞める」という動きがあったからこそ、武内Pはアイドルにさらに踏み込んで、モノ言わぬ車輪ではなくちゃんとしたプロデューサーとして前進できましたし、未央もラストの「辞めなくてよかった」に繋がります。「辞めなくてよかった」を描くためには「辞めそう」にならなければいけませんし、そのためには「バックダンサー」、「勘違い」、「すれ違い」、「辞める発言」などが必要不可欠ではありました。

もちろんそれらのファクターを使用せず、まったく違うイベントによって未央が「辞める」騒動を起こせば、それはそれで代替可能ですが、デビューライブという避けられないイベントを消化せねばならなかった都合上、この内容が最善とは言わずともベター(安定)だったと言わざるを得ないのではないでしょうか。そもそも「辞めなくてよかった」を描かなければいい、という本末転倒な代替案もわかりますが、わたしは未央の「辞めなくてよかった」に感動しましたし、その言葉のためにはこの流れは必要不可欠だったと思うので、根底を覆すようなアイディアは認めたくはないですね。

そして、もちろんキャラクターの性格についても、できる限り「未央らしい」展開を心がけていたと思いますし、もしこの当事者が卯月や凛だった場合はまったく違うアプローチになってしまって、プロデューサーの成長に結び付けられない弊害も起きそうでした。プロデューサーを奮い立たせたのは凛からの厳しい言葉が大きかったと思いますが、仮にこの騒動の当事者が凛だった場合は、その役目は未央に回ったはずで、しかし未央はそんな気の利いた、それでいてプロデューサーに踏み込んだようなことが言えたとは思えません。プロデューサーを疑いながらも信頼していた、そして誰が相手でもあまりひるまずにズケズケと言える凛だからこそ(そしてプロデューサーに熱心に勧誘された彼女だからこそ)、プロデューサーを奮い立たせ、未央の元へと向かわせるパワーがあったのではないでしょうか。

それに、凛や卯月が当事者だった場合、1クール目ラストの「辞めないでよかった」をそのどちらかが発することになりますし、そうなると描写の都合上2クール目からは「成長済み」のアイドルとなりますが、やはり2クール目のトライアドプリムス関連や卯月関連の話を見ると、そこを未央のエピソードに変えるのも違和感がありますし、1クール目に関してはいい描写バランスや采配だったのではないでしょうか。1クール目ありきの感想ではあるので、まったく別の形で最高の内容ができた可能性は多いにありますが、やはり完成したものが「全て」ですし、それの良し悪しを評価こそすれ、改善案ならぬ改造案は不毛で仕方ないですからね。というわけでそこは割愛させていただきます。

●総括その1
いよいよ本題、2クール目の脚本について・・・の前に、つらつらと書きすぎたこともあって、本記事をざっくりと総括しておきます。2クール目は本題ということもあって、これと同等くらいの量を書いてしまいそうですし、とりあえずこっちの記事は確定しておいていい内容だと判断したので。

まず、アイドルマスターシンデレラガールズは「本家765からは逸れた外伝的存在であり、だからこそ描ける物語」だということ。アニメ化に際し「プロデューサーの造形」なども秀逸に作り上げられていたこと。「1クール目は万人向けに作られていたものの、2クール目は多少人を選ぶ内容」だったことを本記事では書かせてもらいました。

それでは、次の記事では2クール目の内容について、本格的に触れていきたいと思います。あくまでわたしなりの考察になりますし、そもそも時期が遅れすぎているとか、妄想の余地を出ないところも多々ありますが、よろしければ時間つぶしにでもご利用ください。

というわけで、シンデレラガールズまとめ前編でした。後半へ~続く。

・・・この記事を何度読み返してみても、乱雑としてうまくまとめきれていない感じの説明が我ながら情けない。言いたいことが三割も語れていないんじゃないかと思うほどです。でも今更この量を書き直すのも面倒なので(オイ)、後編では核心である卯月の一件や「アイドル論」などに触れながら、もう少しわかりやすくまとめてみようと思います。





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