寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
201704<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201706
アニメ プリパラ 2ndseason 総括
プリパラ88-29
非常に遅ればせながらですが、プリパラ2ndseasonをまるっと感想したいと思います。



●2ndseasonあらすじ
必要ないかもしれませんが、一応のおさらいと論点の整理のため、ざっとあらすじを・・・。
2ndになってドリームシアターなる施設が使用可能に。そこで四季のプリンセスを決め、チャームベルを鳴らすと願いが叶うという伝説を告げられます。

プリパラ62-12
さらにソラミとドレシを脅かすアロマゲドンが登場。2チームをひっかきまわしていきますが、
らぁらの「み~んなトモダチ」精神で二人も友達に。「ソラマゲドン・み」としてドリームシアター1番乗りを果たします(チャームベルやプリンセスは関係なし)

プリパラ63-28プリパラ63-33
プリパラ64-09
続いてパルプスのふわり、プリンスひびき、教師あじみなどが登場。夏、秋のプリンセスが出そろったとき、現状のプリパラに嫌気がさしたひびきが自ら出陣。セレパラ歌劇団として勝利し冬のプリンセスの座を獲得したあと、プリパラをセレパラに改革。今までの「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」のプリパラが崩壊してしまいます。

プリパラ83-53
そうするまでに至ったひびきの境遇を知り、らぁらは「トモダチになりたい」と強く思います。さらにひびきはボーカルドールになりたいと自殺志願のようなことを考えていて、それを止める意味合いも込めて春のグランプリに挑み、見事らぁら率いるふれんど~るが勝利。同時に四季のプリンセスも決まったため、ひびきの野望は果たせず。

プリパラ88-27
ひびきは敗北を認めませんでしたが、友情という概念が消失したプリパラ内を朦朧としたまま歩いていると、システムによって排除されそうになります。ふわり・あじみが助けようとするが全員そろって消去の危機に。ふれんど~るがチャームベルの奇跡によってひびき・ふわり・あじみを助け、最後に一年を締めくくるパレードで締め。そのとき、ひびきはセレパラの間違いを認め、ついに考えを改めたのでした。


●キモとなる大事な要素・ドリームシアター
2年目といえば新曲・新ライブ・新キャラクターなど語るべきところは多々ありますが、それら全てに関わる一番大事な要素といえば「ドリームシアター」でしょう。

ぶっちゃけドリームシアターの登場は前ふりも伏線もまったくなく、「システム」の一言で追加されたモードですし、ゲーム筐体の兼ね合いでアニメと一緒に推していくゲームシステム・・・といってしまうのは事実だとしても身も蓋もありませんね。

ドリームシアターの導入は性急でしたが、事前に丁寧な説明が入ったのはゲーム・アニメどちらのファンにも配慮されていました。さらにモブアイドルでしたが「わたしはいいかなぁ」みたいな反応もあり、あくまで「ドリームシアターや四季のグランプリは自由参加」という立ち位置を貫いていたのが素晴らしい。それでいてらぁらたちが「挑戦する」前向きさを見せたり、グランプリメーンでストーリーが進んでいくことから「それとなーく」グランプリへ話を誘導していたのはうまいやり方ですね。この構成で、あのモブアイドルのようにドリームシアターにまったく興味を示さずに「まいにちプリパラ」ばかりプレイする子は、あまりいないのではないでしょうか。いたとしたら相当頑固? まぁゲームのドリシアは通常プレイを数回したり、扉を開放した後にもう100円投入でプレイできるなど敷居を意図的にあげていたので、無理にプレイする必要はない、というスタンスにもなっていたでしょう。

プリパラ66-69
ドリームシアターライブだとプリパラ初の5人チームになったり、ライブそのものがメイキングドラマのような映像になったりとなかなか革新的で、毎回ドリームシアター曲は楽しい・衝撃的な感じで見ていましたが、同時に量産やチームメンバーのシャッフルといったバリエーションは難しいようで、年間通じて4~5個くらいしかドリシア曲が誕生しなかったのは残念です。

プリパラ66-77プリパラ86-78
また、ドリームシアターには「チャームベル」という要素があり、本来ならサイリウムチェンジする段階でエアリーチェンジとなり、ステージを広く飛び回るアイドルたちの姿は可愛いというよりカッコよくてイイのですが、あまりバリエーションがなく、曲の後半のダンスが見れないというデメリットを生んでしまいました。しかし、この年にあった3D映画ではエアリーやチャームベルの飛び出し方が素晴らしく、このためだけにエアリーやベルがあってよかったと思えるほどでした。惜しむらくは、現状この3Dを楽しむ術がもう皆無ということでしょうか・・・。さらに言うなら、テレビ本編での最高のエアリーシーンは、春のグランプリで全員がベルを目指して飛び上がるところか、ドリームパレードのラストでモブキャラ含めてみんながエアリーするところですね。


●ストーリーの本流
 ◇テーマにとっての障害・敵の存在
年間通じてのテーマは、もともとプリパラが掲げている「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」で間違いないんですが、それを1年目とは違うアプローチで「ゆさぶり」にかかったな、という印象です。作品にはテーマがあるべきで、そのテーマを揺るがすことでより強くテーマを提示する手法があります。揺さぶってくる存在は「敵」だったり「自分」だったり「過去」だったり様々です。

例えば1年目のプリパラであれば、プリパラそのものを禁じようとする大神田校長がプリパラのテーマを恨む「敵」として立ちはだかりました。ファルルもライバルとして登場し、らぁらたちと激突。しかしそれを超えてトモダチになろうとしたとき、ボーカルドールであったためトモチケをパキって機能停止に。それはいわばボーカルドールという「存在(システム)」がテーマに対立していて、そのシステムは自然の摂理のように強固なものだったため、らぁらたちを非常に追い詰めました。どちらの問題もライブで解決するのがプリパラらしかったですし、「アイドルアニメ」らしいのではないでしょうか。

さらに言うなら、大神田校長の根幹にもファルルの根幹にも「プリパラ愛」が前提としてあるのが大事ですね。かつて愛していたからこそ裏返しの恨みが募ってしまった大神田校長。プリパラで誕生しプリパラが自分の全てであり、そこで手に入れた大事なトモダチとのトモチケ交換のせいで機能停止になるファルル。どちらもプリパラに親しい感情を持った上での「テーマにとっての障害」であったのは、その後もストーリーは進みますし、そういった未来を見据えての配慮のようにも思えました。真に悪意がある障害(敵)だと、決着のつけ方もかなり変わってきますし、その後の後味もスカッとしない可能性がありますからね。それに「そういう決着」をしてしまうと、それこそテーマの「み~んなトモダチ」に反してしまう可能性もあり、そういう敵はなかなか扱いが難しいと言えます。

プリパラ78-16
さて、それでは2年目のテーマの相手ですが、まぎれもなく紫京院ひびきで間違いないでしょう。そしてひびきは、先述した「真に悪意を持った障害」にかなり近く設定されていたように見えます。彼(彼女というのが正しいですがわたし的にはなぜだか彼呼びがしっくりきます)はかつて身近にいた人たちからヒドイ裏切りを受け、トモダチという存在を信用できなくなります。その復讐のような感情からか、友情を信じず、実力主義的な考え方を持っていて、世界には嘘が蔓延しているという固まった考え方をしています。その精神は「み~んなトモダチ」に反するところであり、らぁらとしても許せないものですが、しかしながら彼はらぁらのようにプリパラを、そして神アイドルを愛していました。根幹には「プリパラ愛」がある、そこはやっぱり忘れられていませんでしたね。

プリパラ78-45
神アイドルの誕生が実力至上主義プリパラ=セレパラによって成されると考えたひびきは、まず冬のグランプリをかけてらぁらたち「努力チーム」と対決。見事に勝利したひびきは勝者の権限によって(事前に約束してたため)プリパラをセレパラに改革。キャッチフレーズは「み~んなライバル、セレブだけアイドル」という、今までのテーマを真っ向から否定するものでした。

「み~んなライバル」はまだわかりますが、「セレブだけアイドル」というのは直感ではよくわかりませんでした。きっとアイドルを高尚な位置に押し上げ、気軽にライブできないようにしたのでしょう。結果ライバルは減りますし、そもそもレベルの低いアイドルが減るのでプリパラTVでのライブはトップアイドルが行う質の高いライブばかりになるでしょう(このときもランクがトップアイドルではないアイドルのライブが禁止されました)。

弱者を切り捨ててアイドル全体のレベルを上げるためのフレーズだったのかもしれませんが、母数が減ると作中にあったような「ライブ回数の減少」になったりして、プリパラそのもののエンタメ性が失われそうになる危険がありました。そこはめが姉ぇが補てんしてたようですが、セレパラの掲げる新キャッチフレーズは、このように「一理」あるものの、同時に色んな問題もはらんだものでした。

プリパラに限らないでしょうけど、こういう不特定多数参加型ゲームなどでは、何より母数の多さがものを言います。ここでいうトップアイドルを「重課金者」と呼ぶのは不健全ですが、そういうマジメだったり熱血だったりハマりやすい人というのは〇分の〇の確率で存在するという法則があります(詳しい数値は知らない)。そういう人を多く輩出するためには確率論の観点からすれば母数を多くすればいいわけで、ひびきの行いはそういう「トップアイドルの芽」すら摘んでしまう行為でした。セレブらしいやり方といえばそうですけどね。芽から育てるのではなく、もう「トップアイドル」をどこかから手配・用意してしまう、という。

 ◇敵との対決・決着・落としどころ
1年目の大神田校長、ファルルも奇跡的で壮大なライブで障害を乗り越えましたが(勢いやノリではなく、それらのライブにはちゃんと相応の説得力がありました)、2年目のひびきも、当然ライブで思い知らせることになります。直前でらぁらたちは敗北しているので、リベンジマッチにもなっていた春のグランプリでは「チャームベルを鳴らした者の勝ち」という方法で勝敗が決められますが、一見乱暴な内容に見えなくもありません。さらに映像としてはエアリーを出してのチキチキマシン猛レースのようなライブ(?)になっていたので、なんだか力技でひびきを負かしたように見えてしまう危険性がありました(実際そういう意見も多数ありましたね)。

しかし、ドリームシアターで初お披露目した「エアリー」という空中ショー要素が、2年目の「強者」の条件として事前にしっかり描かれたのが上手に作用していました。今までエアリーはドリームシアターライブ時にしか出なかったですが、ひびきが初めてソロライブで披露し、「ファンの圧倒的な声援があればエアリーが出せる」という、いわゆる「アイドルパワー」のような力関係の指標にもなっていました。よって、その後もファルルやみれぃがソロライブでエアリーを出したりと、「成長の表現」としても使用されました。

プリパラ86-96
春のグランプリではそのエアリーを全員が出し(まぁドリームシアターライブでしたし)、空高くにあるチャームベルを目指すレースのような形式になっていました。見た目ライブっぽくないのは致命的でしたが、前述したようにエアリー=アイドルパワーとなっているため、同時に「ファンがそれを求めている」という免罪符になっているので、あのレース形式でもプリパラ的には特に問題はなかったと言えるでしょう。

しかも事前にひびきが「春の勝者=四季の勝者」となるようにプログラムを変更していたため、チーム戦ではなく個人戦を表現する必要があり、「羽」「個人戦」といった要素をわかりやすく組み立てた結果、あのレース形式になってしまったのもうなずけます。「早いもの勝ちかよ」という意見が当時多く見受けられたのですが、エアリー=アイドルパワーと考えていたわたしは、そこには特にひっかからずすんなり受け入れました。まぁアイドルといえば「ライブ」という気持ちもありますから、ライブではなくレースっぽいもので決着をつけてしまったのは、それこそ「アイドルアニメ」としてどーか、という気持ちはありますが。

加えて言うならば、らぁらたちのグランプリに挑む動機がじゃっかん弱いかな、という気はしましたね。VS大神田校長のときの「プリパラの良さを知ってもらいたい」、ファルルのときの「トモダチを助けたい」というのに比べ、「ひびきのボーカルドール化を止めたい」というのは、前者2パターンと同じではあるんですけど、らぁらたちに「そこまでする」強い動機が備わっていないように思いました。無論、ボーカルドール化阻止は同時に「四季のプリンセス」になることですから、そっちの方で挑んでいたアイドルもいたことでしょう。

プリパラ86-112
大事なのはらぁらの動機であり、らぁらはボーカルドール化=「プリパラで起こってしまう悲しいこと」と認識していましたし(ボーカルドール批判ではなく、人間を捨てるというところが自殺のようでしたからね)、ファルルのトモダチだから助けるという気持ちもあり、ある意味で一番「打倒ひびき」に近い存在でした。グランプリに挑む前や最中でもらぁらだけ他のアイドルと様子が違ったりして、何かを考え込んでいるような描写がありましたし、そんなプリパラのメインテーマの権化であるらぁらだからこそ、ファイナルエアリーという伝説にもないようなエアリーを出せて、ひびきを負かすことができたのでしょう。実力を認めさせる、というより妨害する、みたいな絵面でグランプリの勝敗が決着してしまったのは、やっぱり多少爽快感に欠けたかもしれませんが。

 ◇ひびきの心とひびきのトモダチ
らぁらがチャームベルを鳴らし、春のプリンセスコーデゲット&四季のプリンセスに決定しましたが、やはりそれだけでは納得できないのか、ひびきは敗北を認めていませんでした。このあたりは視聴者の感情ともリンクしていたような感じですね。やはりアイドルアニメたるもの、レースっぽいものですべてが決まるわけではありません。しかし後の展開を見た後なら、むしろそのすっきりしないモヤモヤ感はあえて演出していたとわかりますね。

プリパラ87-115
その後、ひびきはプリパラのシステムによって排除されそうになります。そこで助けに来るふわりとあじみとトリコ。あじみは一時頭を打って変な言葉遣いが治りますが、それは置いておくとして、このとき彼を助けに行った人たちこそ、ひびきにとってのトモダチなのではないでしょうか。もちろん奈落に落ちそうなみんなを掌のところで繋ぎとめ続けていたファルルも同様に。

春の優勝チームがチャームベルの願いでひびきたちを助け、そのままドリームパレードが開幕。一年を締めくくるドリームシアターライブが披露され、最後には全アイドルがエアリーで空中浮遊。そのときひびきが完敗を認めましたが、その光景こそが、真の決着であり、まさにライブで締めくくったプリパラらしいラストだったと言えるでしょう。すでにチャームベルの奇跡を使用されてしまったから、というのもありますが、そのプリパラアイドルの「み~んな」が作り出したエアリーの大空中演舞シーンは、ひびきを心から完敗させるにじゅうぶんな映像だったと思います。

ひびきは限られた人間、選ばれた人間、優れた人間がライブをすればいいという実力主義でしたが、それだけでは大勢のアイドルがエアリーする光景は見られなかったでしょう。ドリームパレード時だけの特別な余興かもしれませんが、「み~んなアイドル」の精神がないとあのラストにはたどり着けなかったでしょうし(春のグランプリを勝利できない)、らぁらの勝利=プリパラのテーマの勝利があってこそ、あのラストだったのです。

多少脱線しますが、あるバラエティ(?)番組で、金魚と水槽で展示イベントを行っている人がフューチャーされていました。色んな金魚、色んな形の水槽を組み合わせて展示をしていましたが、その中に大きな水槽と、それほど特別ではない安価な金魚を大量に使った「遊郭」をテーマにした水槽がありました。超巨大水槽にその安価な金魚が大量に入っていて、その金魚たちそのものは安価なのでそれほど珍しいものではないのですが、それが「大量」にいることによるインパクトがすごかったのです。

P1205681.jpg
微妙にニュアンスは違いますが、その水槽で表現していた「遊郭」は、名もない遊女たちが消えていくこともあれば、名のある遊女へと成長していくこともあり、その繁栄と衰退、そして名もない遊女の多さによるインパクトを狙った展示でした。展示という意味では「数がウリ」みたいなところがありましたし、それとプリパラアイドルを同等とするわけではありませんが、多種多様な、そして今は大したことなくてもいずれ神アイドルになれるかもしれないアイドルの卵がたくさんいる、と考えると、その展示とプリパラアイドルたちはけっこう似ている関係性かも、なんて思いました。「そういう美しさ」もある・・・それがプリパラなのではないでしょうか。


●2ndseasonの展開で起こった不都合
2年目のストーリーがどういうもので、どういう流れの末にきれいに決着したかはわかってもらえたと思いますが、その展開をやる上で、やはり少し強引な展開になってしまったり、出番の数などであおりを受けたキャラクターもいたと思います。

まずはアロマゲドン。プリズムツアーズのときから先行登場し、2年目の核になるかと思いきや、目立った展開は最初の1クールのみ・・・という印象がありますが、わたしとしてはアロマゲドンは実は2年目のキーパーソン、それどころか主役級の扱いを受けていたんじゃないかと思っています(後述します)。

プリパラ85-141
次にそふぃ、シオンの天才組。主に冬のグランプリでひびきチーム・セレパラ歌劇団に入ったあたりが大きいですね。二人が「セレパラ歌劇団に入る」理由づけに四苦八苦していた印象です。一応ひびきの口からは「天才は天才に惹かれる」と出ましたし、そういった感じの動機で加入したような描かれ方をしていましたが、ウサギの「そふぃは自由にしているときが輝いている」という言葉はガツンと響きました。もちろん、それがそふぃやシオンがチームを捨てる(という言い方は意地悪ですが)理由にはならないかもしれませんが、リアルアイドルでもメインのユニットとは別のユニットが誕生したりもしますし、そういう「新たな可能性」という意味で「違うチームに入る」のは悪いことではありません。
 →このあたりの理論は、現在滞ってはいますが、アイドルマスターシンデレラガールズ感想その2にも繋がる予定です。

ひびきが反プリパラのテーマを掲げる「敵」というのは念頭に置かねばなりませんが、どちらにせよ、アイドルとして成長するためにもひびきチームに入るのはアリかナシで言えば「アリ」という空気をちゃんと作っていました(みかんのエピソードなどもそれを補強していました)。しかし、ひびきの強引なやり口やカリスマ(?)で集まったチームなので、その後仲たがいが頻発していたり、みかん離脱→レオナ加入というメンバー移動があったり、人の移動が激しくて何がなんだかわかりにくくなっていたのが残念でした。

もちろん、チームの加入・離脱はキャラクター的に大事なことですし、ちゃんと理由づけされていて、そのキャラが「心から」思って行動しているな、と感じれるように描かれていましたが、何しろそれが何回か起こるものですから、ちょっと混乱しそうになったり「今何の話をしているんだ?」と見ている中で整理しなければならなかったところは、理路整然としてわかりやすくすべきメインストーリーの煩雑化を感じました。しっかり頭の中で整理していけば、「いまこういう展開だな」とわかるんですけどね。それを多少視聴者に強いる展開だったかもしれません。

ただ、やはりチームが新たに誕生する楽しみはありましたし、「誰がどのチームに?」とワクワクできたのは間違いありませんから、そういう意味ではリアルタイム視聴向けというか、週刊漫画やドラマのような「次が気になる」展開にはできていたと思います。しかしそれはメインストーリーではないので、そちらに少々尺を割きすぎたような、と思わなくもありません。チーム加入の際にはキャラの内面をしっかり描写しないといけないので必然的に尺を多めに割かなければならないのは仕方ないのですが、その割合を全体から見てもう少し減らせていればバランスがよくなったのかな、とも思います。余分で無意味な回はなかったので、そう考えるとギリギリ収まった、という尺事情でしたし、その中で最善は尽くされていたと思いますけどね。

ふわり、あじみも夏、秋のプリンセスにはなりましたが、最後の勝負である春のグランプリにはまったく関わらなかったのがちょっぴり残念でした。しかしその二人の目的は別にチャームベルではなかったですし、最後にひびきを助けに行ったところからもこの二人からは「特別感」がありました。初登場のグランプリでそれぞれプリンセスになっているので、春ではハブられてしまいましたが、そこまで「割を食った」感はありませんでした。むしろそういう特別感があるからこそ、春に出場していない方がむしろ特別感は増していたように思いますね。もし出場していたなら、この二人とひびきのやりとりなどで、レースがもう少し長くなっていたでしょう(どっちみち登場キャラの都合上5人チームが歌劇団とふれんど~るの2チーム以上はもう作れないため、やっぱり出場はできなかったでしょうね)。

他にも、そもそもドリームシアターでの5人ライブが嫌い・・・ふわり、あじみ、ひびきを好きになれない・・・チームに加入したり離脱したり・・・サイリウムエアリーが嫌い・・・などなど、2年目の新要素は、同時に不満要素になっていることも多いです。色んな人の当時の感想を見ていると、そういう人もたくさんいたようです。ですが、そこはグランプリに挑戦しようとしたらぁらたちのチャレンジ精神や開拓のスピリットに反していますし、新キャラは登場しても既存キャラと被っているようなキャラはおらず、描写や出番を完全に奪われるようなことにはなっていなかったので、そこは当然ですがうまくやっていたのではないでしょうか。初登場やその後数回はちゃんと新キャラの描写に費やしていたので、新キャラにおける「描写不足」は感じませんでしたからね。

そふぃ、シオンの件もそうですが、歌劇団がらみの「あの」展開はそふぃ、シオンでしかできなかったことですし、むしろ「天才キャラだからこそ」という役どころをまっとうしたと言えるのではないでしょうか。それすら気に入らないとなったら、もう「自分の気に入る展開にしろ」という無理難題レベルの難癖ですし、それは不可能でしょう。もちろん、なるべく万人にウケる展開にするのが商売としてはベターでしょうし、2年目の展開は挑戦的だったがゆえに、それが比較的賛否両論を巻き起こしたのは事実です。個人には好みが存在し、それに沿わなかった場合不満が出るのは当然ですからね。

このシリーズはプリティーリズム時代からずっと、「挑戦的」であったように思います。万人受けを可能な限り狙いつつも、ガチなところはガチで作る・・・それはプリパラでも変わっていないです。その姿勢は好きですが、同時にある程度の否定的意見も出るのは仕方ないでしょうね。・・・古参ぶっているようでなんだか自分でもウザいですが、でも多分、それだけ真剣だからこそああいう展開・ストーリーを選んだと、わたしは思いますね。そしてそのような姿勢で作られた展開が仮に「好み」だった場合、それは深く突き刺さり非常にコアなファンを生むでしょう。それもある意味で戦略ですし、別に悪いことではありませんからね。ファンを切り捨てているとか、賛否展開が「好み」だった場合、選民作業に選ばれたとかいうわけではなく、単純な言葉で言えば「人を選ぶ」内容だったというだけのことです。それをわたしは長々とそれっぽく話しているだけで(苦笑)。


●影の主役・アロマゲドン
2年目の主役といえば? 1年目と変わらずらぁら、というのが普通の回答でしょう。いやいや一番ピックアップされたひびきというのもまだありえる答えです。わたしは決してマイノリティを気取りたいわけではなく、また、3年目のガァルマゲドン展開を見てこの項目を思いついたわけでもありません。もともと2年目が終わったときに書こうとしていた内容をやっと今書いているだけで・・・(遠い目)。

2年目の主役、それはアロマゲドンだったんじゃないか、というのがわたしの見解です。時期的な都合ではありますが「映画で先行登場」したということや、1クール目のメインにしてドリームシアターに「1番乗り」したことが主役らしい部分として挙げられます。

プリパラ76-99プリパラ77-38
しかしそれだけでなく、要所要所においてあろまとみかんの友情が描かれ、それが主にひびきの提示するテーマに反発していることが多かったからです。ひびきの掲げるテーマ「み~んなライバル」のアレは反プリパラの思想であり、それに反発していたアロマゲドンは、まさにらぁらと同じくプリパラのテーマを主張する存在だったのです。

当初の登場が敵のようだったのは、プリティーリズム・ディアマイフューチャーの主人公みあを彷彿とさせます。アイドルが好きではあるものの、ライバル心や対抗心が強く、すでに活躍しているアイドルにつっかかってしまう・・・黒髪ロングでつり目だったり、あろまは色々とみあを連想する要素が多く、プリパラの1年目もプリティーリズムADをオマージュした雰囲気がありましたが、2年目はDMFをオマージュしているのでは、と考えたものですし、そう考えるとあろま=みあ説は自分の中でかなり(勝手に)しっくりきていました。ひびきというかなりわかりやすい敵が出てくるところや、一時セレパラとなって「世界が主人公の敵になる」ところなんかも似ています。

みあが嫌いな人は、わたしの理論には噴飯ものかもしれませんが、あろまはかなりバランスに配慮して描かれたように思いますし、ある意味でみあの「失敗」を生かしてうまく好かれるキャラクターに仕上げていたと思います。みあはやっぱりギリギリを狙いすぎたくらいに挑戦的でしたし、そのせいか嫌っている人も一定数いました。根底が「アイドル好き」であることや、みかんとの友情、行動が小学生の範疇だったりと、みあの反省があろまに息づいていたのを感じました。

オマージュ繋がりで言えば、シャッフルユニットやひびきの「革命」という単語、好き故に世界(プリパラ)を自分の理想に作り替える、というのはDMFでけっこう見た内容ですし、見ていた人であればちょっぴり連想したんじゃないでしょうか。もちろんそのあたりもひびきをはじめ、しっかり焦点をあてて描いていたことで、いわばDMFの反省が生きていたと思います。そのなかで、先ほどのふわりあじみ理論ではないですが、春~秋でそれほど大きな話はなかったものの、要所要所で友情を描き、さらに最後のプリンセスチームには二人とも入っているという意味で、アロマゲドンはやっぱり2年目の「主役」だったなぁ、と思いました。

まさか、この感想が滞っていた間にガァルマゲドンが真に誕生して、よりこの説を強化することになるとは思いませんでしたが・・・(汗


●総括
思ったよりざっくりした感想となってしまいましたが、ハッキリと言いたいことは2年目の展開も、1年目と変わらずプリパラのメインテーマに沿って挑戦的かつ「ガチ」で作られていた、ということです。そして、だからこそ多少好みが分かれ、賛否両論を巻き起こしはしましたが、概ねいい内容だったのではないか、ということです。これ・・・大抵の作品に当てはまったりしないよね?

「人を選ぶ」という感想はあらゆる作品にあてはまる何の実りもない感想ですが、本作2年目がどうして面白くて、どうして不満が出て、どこが人を選んでいたかはわかってもらえたと思います。言われなくてもわかってたよ、という人にはまったく無意味な内容ですが。

個人的には、アロマゲドンの活躍(?)も注目ポイントだということです。それほど出番は多くないのですが、クリスマス回や会話の端々などに二人の友情が感じられ、それがいいアクセントになっていたり、揺れ動くらぁらたちと違って、確固たる指標のような存在であり続けたように思います。

さて、2年目も大団円を迎えていよいよ3rdseason、神アイドル編に突入したプリパラ。こっちもこっちでまた賛否両論の要素が出てきてはいますが、個人的には2年目よりは多少万人向けになったというか、2年目のときほど賛否がハッキリと分かれておらず、否定意見も少なめに感じます。

もちろん全員が全員「賛成」コールをする作品というのはなかなかありませんし、むしろそういう作品があったとしたら、視聴者は盲目な信者のようでちょっと気味が悪いです。そういう意味でも適度に賛否のある作品というのがわたしは好きですが、3年目もしっかり(?)賛否があり、それでいて否定が少なめ、という、ある意味で「いい作品」の条件をかなり「理想的に」満たしていると勝手に思っています。3年目の感想に関しては、これほど(?)遅れることなく、というかクール毎に区切るなどしてちょくちょく書いていければと思っていますが、うーん、どうなることやら・・・。
コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.