寄り道ブログ
寄り道な人生をしています。読んだ小説や、見た映画・アニメの感想などを投稿していきます。
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プリパラ、また会う日まで!
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四年間、様々な思い出をくれたプリパラ(アイドルタイムプリパラ含む)が、先日ついに最終回を迎えました。
今でも目を閉じれば数々の楽しい思い出が甦りますが、最終シーズンとなってしまったアイドルタイムは、
今までの3年に比べれば根幹は同じながらも、確実に毛色が違ったことが特徴です。

今回は、プリパラの4年間に感謝を述べつつ、アイドルタイム特有だった要素、
そして他のアニメにはないこのアニメだけの要素などを分かる範囲で挙げていきたいと思います。

※プリチャンのこともちょっと語りました。


■時間に関する様々なアプローチ
アイドルタイムという名が体をあらわすように、本作には様々な「時間要素」がありました。
ゆいの「寝起き!」しかり、WITHの三人が「朝昼夜」となっていたり、女神に代わって時の精霊(昼夜)が登場したり、
さらにはライブのために「アイドルタイム」を貯めるといった要素もありましたね。

それらは今までのプリパラにはなかった要素ですし、三年続いた「サイリウムチェーンジ!」が「サイリウムターイム!」になったり、
定番台詞にも時間関係が増えて、それらは最初こそ戸惑ったものの、新要素はやっぱり新鮮に感じました。
かなり枠の部分が変わったとしても、「プリパラ」という大枠が変わったわけではなかったですし。

ボス(?)のような大物格が二人いる、という構図は三年目の女神、ジュリィとジャニスを彷彿とします。
二人は姉妹で、ジュリィのやり方を気に入らないという第一印象で登場したジャニスは、
よくある覇権争いのような、それでいてジュリィの思いやりとジャニスの変わっていく様子を楽しむストーリー構造をしていましたね。

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パッと見、似たような関係に見えるファララとガァララですが、ファララ的には相手をあまりよく知らず、
ガァララだけが一方的に恨む、というような構図だったでしょうか。
昼と夜というシステムにファララは疑問を抱いてませんでしたが、ガァララは苦痛で、
パックだけが心の友でした。内容的にファララにあまり好感が抱けず、
ガァララの不憫さが集中的にクローズアップされていたので、
ファララ人気があまりついてないように見えたのは残念でした。
でも女児は強キャラとか好きですし、ファララも人気はあったらしいですが(自分もファララ好き)。

時計塔や、時のコーデで背中に背負う時計、ファラガァラの瞳など、デザイン面でも時間要素は多かったですが、
ライブをするために「アイドルタイムを貯める」というのが、なかなかに展開の枷となっていた印象です。
実際のオモチャを意識したのかもしれませんが、なまじ初期に「〇〇でアイドルタイムが貯まりました!」と説明していただけに、
説明がないときに「なぜ?」となってしまう人が多かったようです。

後半では、もはやそれをギャグに昇華していたのか、説明がほぼないままアイドルタイムが貯まっていましたね。
個人的には、みあがライブしたときのような、アイドルのための努力などをしていなくても、
その風格や状況、周囲からの期待やアイドル自身の迫力など、
「アイドルタイムの貯め方」でも格や個性を見せつけて欲しかった次第です。
実際そのつもりだったのかもしれませんが、視聴者には「ガバガバタイム」と呼ばれたみたいに、
なぜ貯まったのかわからないギャグになってしまっていたような気がします。

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終盤にパックやらぁらが凍り付いてしまうところなども、「時間停止」の解釈だったとは思いますし、
いい感じに時間要素を練り込んだ展開だったとは思いますが、本作は同時に「夢」も描かねばならず、
そちらをメインで押し出したので、「時間」については全編通じてあまり「深く」は描かれなかった印象です。
というか、時のシステム(ファラガァラ問題)が解除された時点で、
時間に関する内容は終了だったということでしょうか。

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個人的には、時のコーデで古代プリパラへ戻ったときなど、もう少しSFチックに時間旅行して欲しかった気持ちもありますが、
それをズバッと切り捨てた本作のやり方も嫌いではありません。メインで描かない、ということは、
本作にとって大事ではない、ということですからね。あのときはSFチックに時間旅行することが大事なのではなく、
時のジュエルを手に入れてくることが大事だったということですね。

そういう「描く・描かない」の割り切りは今までのプリパラでもありましたので、
時間旅行をたっぷり描かなかったときは「もったいないけど、プリパラってそうじゃないもんな」と思ったものです。
というわけで、メインストーリーの「時間要素」としては、主にファララ・ガァララ関係で描かれていました。
前述したようにファララ側がノー天気なので、不憫で可哀相なガァララ側に同情や好意が寄せられやすく、
同時にファララにはヘイトすら向けられてたように見え、ファララの描かれ方が少し残念でした。
あのお気楽な妖精、わたしは好きなのですが、ガァララの方が好かれるのもわかるというか・・・。

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あと、個人的にはもう少ししゅうかちゃんに活躍の場などを与えて欲しかったです。
「あれだけ見せ場あったのに何を贅沢な」という人もいらっしゃるかもしれませんが、
やはり「登場時のみ強い」「ソロライブだけ」「ガァララとのエピソード要因」くらいしかなかったのは、
それだけでもじゅうぶん魅力的に描かれていましたが、やはり「しゅうか」個人のことがあまり見えてきませんでした。
ミミ子関連で、もう少し描けていたかもしれませんが・・・。
(最後にMemorialには参加しましたから、「ソロライブだけ」は語弊があるかもしれませんが、
 なんとか特別に出させてもらった感も否めません)

しゅうかとしては、「アイドルタイムイズマネー」という格言がありますし、
現実世界でも、時間とお金は基本的に等価交換です(各人のスキルで金額は変わりますが)。
夢を求めるゆいと、お金(時間)を得ようとするしゅうか。
生きるためには夢も必要かもしれませんが、お金だって必要です。
ゆいを描くのであれば、同時にしゅうかも同じくらいの分量で描写して欲しかった、というのが本音で、
ゆいの行動がしゅうかに影響を与え、しゅうかの行動もゆいに影響を与える、という構造になってくれると、
わたしだけかもしれませんが最高に滾る感じになったと思っています。

夢は時に裏切られたり、追いかけることに苦痛を感じることもあるでしょう。
お金は基本的に裏切りませんが、それでも時には痛い目を見たり、
お金のために自分を殺すこともあるでしょう。
夢とお金、どちらも二面性があり、しかし生きるためには大切で、
この二大命題はアイドルタイムのメインテーマにぴったりだと思っていたので、
しゅうかの出番はちゃんとあったとはいえ、わたしとしてはもっともっと大きく扱って欲しく、
ゆいと競い合って欲しかった印象です。

プリパラは「み~んなトモダチ」という主義なので、チームライブの方がソロより優勢で、
しゅうかはずっとソロだったのも原因でしょうね。
チームメンバーとしては、最終回で描かれたエバーゴールドが最高かつ理想の完成形でしたけど、
メンツ的にも本編の尺的にも、最終回くらいでしか結成できそうにありませんでしたし、
そもそもミミ子inという構成は初期の想定にはなかったでしょうから、
マイドリームほど大きく扱うのは難しかったのでしょう・・・。


■アイドルタイムを彩ったサブキャラたち
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地獄ミミ子委員長しかり、チアガールしかり、WITHしかり、
アイドルタイムも多彩なサブキャラクターたちが登場しました。
むしろ、プリパラ一年目の比べると、かなりサブキャラが多かったんじゃないかという印象です。
数回出るキャラクターもいれば、一回限りのキャラなどもいましたが、
アイドルタイムでメインキャラ(ゆいちゃんたち)が増え、
プリパラからの続投キャラもいるため、人数に関してはかなり賑やかでした。

しかし、それが功を奏したかはまた別の話といいますか、
個人的にはキャラは多ければ多いほどいい、とは思っていないタチなので、
見切り発車というか場当たり的というかノリと勢いみたいにキャラを出していたのは、
仮に後々好きになれたとしても、あまりいい手法とは思えませんでした。

「登場させる」と決めた時点で、「しっかり活躍させる」または「活用する」ようにしてくれないと、
なんだか「持て余してる」感を感じてしまうんですよね、登場キャラクターって。
いわゆる「依頼解決」形式の、探偵ものや刑事ものだと一話限りのキャラとかいますけど、
プリパラではそういう形式のお話ってなかなかないですし、
そういう形式の場合は、最後に全員登場したりして報われますが、
そういう「元気玉」的な展開も、言うほどなかった印象です。

いえ、プリパラ恒例の合唱展開は確かにあったのですが、それはサブキャラ再登場というより、
「み~んな」の力の表現ですから、サブキャラである必要性はありません。
登場させることで懐かしみなどは出ますが、「サブキャラを効果的に扱う」には該当しないと思います。

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チアガールのちあ子は、ゲームシステムの説明・販促を兼ねていたこともあってか、
一話まるまるエピソードがもらえたり、その後も夢が奪われたりして出番が多く、
理想的な「サブキャラ」の描き方でしたが、同時にちあ子にエピソードが集中してしまって、
「ひつじ隊の他の子たちの存在意義って・・・」となったりしました。
愛子様はけっこうご意見番的雰囲気で存在感もありましたけどね。
あ、ガイ子や瑠衣もデザインや喋り方で個性はあったかな?

無印プリパラ時代(アイドルタイムと差別化するため便宜上「無印」とします)もサブキャラはいましたが、
定子、ちゃん子はそふぃ親衛隊としての「役目」がありました。
蘭たんもハロウィンの風物詩として存在感ありましたし、依頼解決形式のキャラでしたが、
その特殊性からも人気はありましたね。
意味もなく登場したという意味ではハシビロコウがいますが、
もともと無口で静かという性質上、あまり邪魔にもならず、
画面のアクセントやそふぃの不思議さを増す意味で一役買っていた印象です。

アイドルタイムの珍動物枠では雪男(♀)がいて、古代眼鏡を持っていたりOPにも登場した割には謎のままで終わり、
「そういう細けぇことはいーんだよ」と言ってしまえばそれまでですが、
プリパラってぶっ飛んでいるようでしっかりキャラを活用したり大事にしたり計算したりしているので、
イエティや詩子は出した割には活用できてなかった印象です。流れやギャグのテンポ、
エッセンスとしては活用できていたと思いますが、その程度の活躍に留まったというか、
プリパラでいえば定子以下、NewMewや禎子率いるチーム光合成レベルではないでしょうか(言い過ぎ?)。

森脇監督はキャラクターを大事にしますし、一度っきりのサブキャラも、
観客モブとして登場させたりしますが、やはりエピソードがあったり、物語に「役目」を持っていることこそ、
わたしは重要だと思います。それが至上とまでは言いませんが。
それに、森脇監督のそういう「性分」みたいなものが、各キャラクターを捻じ曲げることなくしっかり描写し、
4年間も魅力を見せ続けてくれたとも言えるので、そういう「性分」でサブキャラクターが生まれていたと考えると、
そういう手法も悪くないのかな、とも思えてきます。計算しているようにみえて実はライブ感満載で、
出しておいたサブキャラが役に立った、という事例も、実はあったのかもしれませんしね。

ただ、WITHたちは描くのをてこずったのか、それとも尺の都合が、それとも予定通りなのか、思ったよりも出番がなく、
好きになりたくても見えてる要素が少ないので好きになりにくかったですし、
その結果、エスコートでも不満が出ていたように思います。
WITHを登場させ、男女を一緒に描く以上どっちみち不満はどこからともなく出てきますから、
どうせならもう少し内面などを描いてくれていれば、WITHたちを好きになれるチャンスがあったと思いますね。

■夢川な兄妹の交換ライブ
アイドルタイムを語る上で、夢川兄妹、いや、とりわけダンプリは語っておく必要があるでしょう。
反対派も多かったようですがわたしは歓迎派で、ただし「ちゃんと描いてくれるなら」という条件付きでした。
結果、ショウゴとゆいのエピソードなどは良かったのですが、WITHで語られたのはそれくらいのもので、
アサヒやコヨイは他のサブキャラクターと変わらない程度の描写しかなく、
「ホモっぽい」だの「やべーヤツ」だの、そういう表面的な部分でしか彼らを見れなかったのが残念です。

なまじ本編は続投キャラやゆいちゃんたちをしっかり描いたがために、マイドリ結成も終盤でしたし、
ダンプリを語る余裕は微塵もなかったような気がするので、その中で最善は尽くされていたと思えますが、
先ほどのサブキャラ理論といいますか、「出すならしっかり描いて欲しい」というわたしの願望は、
自分勝手ではありますがあまり満たされませんでした。

映画キラリンスターライブでの「レオナがダンプリに!?」みたいな展開は、あくまで前振りの予告で、
実際にそういう展開にするつもりがないのは見え見えでしたけど、
さすがにこれほどダンプリが語られないとは予想していませんでした。
「時間」要素の話をしましたが、アイドルタイムは夢が奪われ、女子プリではなくダンプリが栄えた世界です。
ならば、ファラガァラ問題に触れるときに、ダンプリにはもう少し見せ場が欲しかったところですが、
「ダンプリってそのせいで誕生したのか・・・」とダンプリアイドルが落ち込んでしまいそうな気もするので難しいところです。

・・・さらに邪推するなら、一時期の仮面ライダーで「フルーツ」「ダンス」「戦国」要素を、とムチャ振りされたスタッフ陣よろしく、
アイドルタイムでも「夢」「時間」「男子」を出せ、という上からの指示に精一杯応えた結果では、と思えてきました。
憶測の域を出ませんが、WITHがキンプリのようなコンテンツになろうとしている昨今の動きを見ると、
終わるシリーズには男子を出して、その後もファンでいてもらうような施策をしているのでは、と勘繰ってしまいますね。
喜んでいる人がいるので別に異論もないですが、しっかり組み込めないと水を差すような形になるので、
今後もこういうムチャ振りが(プリチャンに)あるかもしれませんが、なんとか形にしていってほしいところです。

ゆいとショウゴは、兄妹エスコートを経て、最終回で交換ライブを行いました。
正確にはマイドリとWITHですが、両方に夢川兄妹がいること、WITHは「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」だったことも、
兄妹の「交換ライブ」っぽさがありました(技術的、納期的問題もあったでしょうが、本当の意味で「交換ライブ」をするのなら、
マイドリの「Believe My DREAM!」でやったはずですからね)。

二人のデュエットは夢見ていましたが叶わず、しかしこの曲を交換したライブは、別の形でのデュエットのようにも思えました。
男子アイドルが出てくると、「最終話にライブする」が恒例みたいに言われていて、
まぁ今のところプリティーリズム・レインボーライブもカウントすると2回目になり、
「言うほど恒例か?」なんて思いますが、まぁ何はともわれ、最終話にWITHはライブをやりました。
しかし、ただ唐突に新曲をしても変ですし、この「曲交換」というのは、笑えますが感動もできる、素晴らしい展開でした。
(旅立つ先輩アイドルたちからの「お願い」という体だったのも流れが自然でした)

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男子アイドルの利点として、女子アイドルより「楽曲がカラオケで歌いやすい」という利点があり、
これはカラオケをたしなむ人にはけっこう重要ではないかと勝手に想像しているのですが、
今回WITHが「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」を歌ってくれたことで、
「男子でも女子の歌を歌っていいんだ」という感じにしてくれたのは、副産物ですがよかったのではないでしょうか。
マイドリの「Giraギャラティック・タイトロープ」も、クールアイドルがかっこいい曲を歌うことはあっても、
ゆい擁する可愛い系のマイドリが、かっこいい曲というギャップに驚きと衝撃と新発見を得られました。

交換ライブの提案は森脇監督の采配らしいですが、新曲を用意するよりは簡単で、現実的で、
しかし最高に印象的なシーンとなり、そのアイディア力というか工夫というか、
そのあたりはさすがベテラン監督さんですね。
WITHをもっと描写して欲しい問題はあるものの、この交換ライブは最終回を華やかかつ笑いに包み、
それでいて感動で幕を落としてくれるに最適なライブだったと思います。

■飛べ! マイ☆ドリーム!
批判的な意見が多くなってしまいましたが、さて、ここからは、もうべた褒めというくらい褒めていきます。
そもそも別にプリパラを貶めたり卑下したいわけではなく、最後に「ありがとう」の感謝を述べていきたかったのですが、
基本的にわたしは逆張りマンでもあり、一面的な意見も好きではありません。

どんなことにも多面的な目線で意見を出したいと思っていて(好きなモノの嫌いな部分、嫌いなモノの好きな部分など)、
特にアニメ、小説、マンガといった「作品」などには、好きになりこそすれ、「崇拝」してしまわないように気を付けています。
「崇拝」レベルにいくと、他の作品を批判したり、盲目になったりしますし、
それはわたしとしても不本意なので・・・。

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ちょっと脱線しましたが、話を戻して、マイドリの話をしていきたいと思います。
マイドリについて思う事・・・それは、まず何よりその秀逸な「チーム名」です。
初めてチーム名を目撃したときは、「マイ・・・米? それに夢・・・ゆい要素ばっかりだ・・・」
と思ったもので、その印象が強いことは間違いないのですが、作中で何度も呼ばれるのを見て、
次第に印象が変わっていきました。

それは、マイドリの三人が三人とも、「夢」に対して特殊な経験をしていることが共通点でもありますが、
彼女たちがチーム名を呼ぶとき、「私の夢」と言うことになる・・・このダブルミーニングが、非常に好みです。
ゆいちゃんは夢がいくつもある頭の中が夢だらけの女の子、
にのちゃんは奪われた夢を自分の力で取り戻した女の子、
ミーチルは夢を守るために心の奥へしまいこんだ女の子・・・
三者三様の経験をしているマイドリの三人ですが、そんな彼女たちが自分のチーム名を呼ぶとき、
同時に「私の夢」と言うのです。それはまるで、初心を忘れないように常に宣言しているかのようでした。
自分の夢が、「マイドリーム」というチームの姿かたちをして、今この瞬間に叶っているのです。

チーム名が「目指せ神アイドル!」といった感じ・・・といえばいいでしょうか。
チーム名のはずなのに、「私の夢!」と言っている様子が、なんだかとても主人公っぽくて、
マイ☆ドリームという名前が、ひねりのないあっさりした名前かと思いきや、
作中でどんどんどんどん重みを増していきました。

さらに終盤になると、マイドリを応援するファンも増えていきます。そのファンたちも、
彼女たちを「マイ☆ドリーム!」と呼ぶわけですが、それは同時に「私の夢!」と叫んでいるのです。
夢がなく、プリパラに来ていなかった子たちが今は夢を持ち、マイドリを応援し「私の夢!」と叫ぶのです。
終盤になればなるほど夢が重要な展開になっていき、観客の「マイドリ~!」が、さらに重みを増していきます。
夢は希望でもよかったかもしれませんが、どちらにせよ、
マイドリはゆいたちにとっても重要な意味を持つ名前であり、チームですが、
ファンたちにとってもただのアイドルグループ以上の意味があり、
そんなチームの名前が「マイ☆ドリーム」というのは、非常によく考えられているなぁと感心しました。
案外、こういうのはあっさり決めているのかもしれませんが。


■パックの夢、ゆいの夢
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アイドルタイムのクライマックスは、パックが強情にらぁらを閉じ込め、
アイドルのライブの力でもなかなか心を開かない展開でした。

パックといえば、ガァララと長年連れ添ったパートナー。
ガァララのためには身を粉にして献身していたように見え、
「パックもいいやつじゃん」なんて意見も当初はチラホラありましたが、時のシステムが解除され、
ファラガァラ問題が解決したところで、「奪ったジュエルを返して謝らないと」という流れになります。
そこでパックが素直に「ごめんなさい」をしていれば話はスムーズでしたが、
そうはいきませんでしたし、暴走したパックの気持ちも「わからなくはない」絶妙なラインで描かれていました。

仮に、誰かのために何かを頑張っていたとして、それが悪事と自覚しようがしまいが、
いきなり風向きが変わり、「今までやってきたことを謝りましょう」と言われても、
納得できないこともあるでしょう。悪事と自覚していたなら多少は謝罪の気持ちも湧くでしょうが、
パックの様子では悪事という自覚もなかったでしょうし、いきなり謝罪要求されても反発するのは道理です。
特に、ガァララが思ったより物分かりがよく、すぐにジュエルを返して謝ろうとしたことが、よりパックを孤立させました。
ガァララは友達を得て自分のやっていたことが悪事だと自覚できましたが、
パックにはそういう機会も出会いもありませんでしたからね。

そんなパックは時計塔と合体(!?)して暴走、我を失って暴れ回ります。
どれだけ素晴らしいプリパラアイドルのライブを見ても心を開かなかったのは、
長期連載マンガの敵のようなしつこさがありましたが、いたずらに引き延ばそうとするそういった敵キャラと違い、
パックは強情であればあるほど、その孤独や悲しさが強調されるので、
終盤の連続ライブ展開にも適した流れとなっていました。
三年目の神アイドルグランプリはトーナメントだったので、必然的にライブ回数が増える構成でしたが、
今年はパックの強情さによって、色んなアイドルのライブが見れた形となりました。

凍り付いたパックの心は溶けることはなく、ドレシがGODアイドルになることでなんとかギリギリ穴を開け、
そこにマイドリが突入して中から溶かす作戦に。マイドリの夢の力はさすがで、らぁらを目覚めさせ、
五月雨式に女の子の夢たち(幽霊?)にも活力が漲り、パックから脱出をはかります。
しかしなんとからぁらを外に出せたものの、今度はマイドリが中に閉じ込められます。
この時のにのちゃんやゆいちゃんの迅速な判断、閉じ込められたのにらぁらが出られたことで笑顔だったり、
短いながらいい描写がたくさんありましたが、「これじゃあ進展ないじゃないか」と思ったのも束の間、
らぁらが外に出たことでソラミドレッシングが揃い、さらに内部からマイドリもライブするという挟撃体制が完成。

らぁらちゃんが凍る描写から、パック内部は夢を失わせる空間のようでしたが、
それならマイドリはまだ耐性のある人選だと言えますし、ソラミドレッシングを揃えたという意味では、
決して「進展なし」とは言えない、見事な救出劇でした。

神アイドル、GODアイドル、そして夢の力を一番持ったアイドルが、
総攻撃(?)でパックにライブを届けます。
パックの夢は、ガァララが笑顔でいること。今のガァララは、パックが強情なばかりに、曇った表情のままでした。
パックは今までやってきたことが否定され、その流れに意地を張っていましたが、
それが逆に大切なガァララを曇らせてしまっていました。
そのことに気づかされたパックは、みんなの夢を解き放ち、凍った強情な自分を氷解させました。

ゆいの夢は、みんなが幸せなプリパラにすること。いつだったか、みちるのときにゆいは「夢は大事!」と言っていて、
らぁらは「今のままで(みちるさん)好き」と言いました。
らぁらは、「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」の精神をもっていますが、
相手に多くは求めません。そのままの相手を受け入れる器量を持っています。

二年目の春のグランプリで、ファルルはひびきのことを「今のままで友だち」と言い、
その言葉でらぁらはひびきを止めに行きました。
また、ひびきの例になってしまいますが、三年目のクライマックスで女神ジュリィが一人一人にメッセージを送る際、
ひびきには「そのままで素敵」といった旨のことを言いましたが、その清濁併せ呑む感じが実にプリパラみを感じました。

ゆいは、「夢!夢!」と、理想を求める傾向があり、
それは時には押しつけがましいときもあったかもしれません。
しかし、そのとめどなく溢れる夢を求める力が、プリパラのなかったパパラ宿にプリパラを復活させ、
時のコーデによってファララとガァララの問題も根本から解決させました。

ゆいが仮に押しつけがましかろうと、これくらい強引でなければ、
ガァララ&パックの夢食いには対抗できなかったでしょう。
そんなゆいは「みんなが幸せ」であることが目的で、それもまたゆいの夢(理想)ではありましたが、
その中にはパックも含まれていました。
最後にはパックにすら夢を抱かせ、パックが夢を持ったことで、ゆいの「みんなが幸せ」が叶うという・・・

パックにしてみれば、ゆいは天敵でしたが、最後に「あの子はいい子パック」と言ったように、
ゆいにしてみても、最後に幸せにするのはパックなのでした。パックが幸せになってくれたことで、
ゆいの夢が叶うという、主人公とラスボスと呼ぶにふさわしい構図になっていたのですね。
そういうことだと、ゆいは夢は取られてないと思っていましたが、実は大事な夢は取られていた、と言えるのかも。

■パックは愛すべき存在か?
クライマックス、パックにアイドルたちがみんなで「だーいすきー!」と呼びかけるシーンがあります。
かなりの人が首を傾げ、わたしも初見のときは「パックを好きになれるか?」と疑問になりました。
特にパパラ宿のアイドルたちは夢を奪われた子たちが大半で、言うならば被害者、
恨みこそすれ、友愛、親愛を送る相手にはなりえないだろう・・・と。

しかしここで、わたしはさらに疑問を抱きました。このセリフの真意はなんだろうかと。
このセリフに違和感を感じるのは、こちらの理解が足りてないのではないかと。
パックについては、悪事を働いていたことは事実ですけど、先ほど前述したように、
パックの気持ちも「わからなくはない」のです。むしろ、よほどの善人でもなければ、
パックの気持ちは誰しも抱きうる、たいていの人は持ち合わせた普遍的な感情ではないでしょうか。

ババリア校長などの反応を見たところ、集まっているアイドルたちは、パックの境遇はすでに知っているように見えました。
パックの境遇を知ったのであれば、同情の念を抱く人も出てくるでしょうし、
頑なに心を閉ざして凍り付いているパックの姿が悲しく映る人もいるでしょう。
そんなパックに「大好き」と呼びかけるのは、引きこもりに登校を促す、もしくは、
強盗犯の気を静めるための口から出まかせに見えなくもなかったですが、
プリパラアイドルたちが全員パックの境遇を知り、同情し、パックが悲しく見え、
心を開いて欲しい・・・心の底からそう思ったのであれば、
全員が口を揃えて「大好き」と叫んだのもわかる気がしてきます。

「アイドルみんないい子過ぎるだろ」と思わなくもないですが、神アイドルを閉じ込めたり、
何がなんでも心を開かないパックの様子は、その強情さゆえに、多くの同情を呼び、
あの「大好き」に繋がったのでしょう。
因果応報というか、パックが強情であればあるだけ、アイドルたちはかわいそうに思い、
親愛の言葉を口にしたのではないでしょうか。

ゆいちゃんの夢の力がまいた種ですが、それが巡り巡ってアイドルたちの心を育て、
パパラ宿にいたアイドルたちは、パックに対して「好き」と言える子たちばかりだったということでしょう。
アイドルの中にはひびきやあろま、ドロシーのような「いい子ちゃん」ではない癖のある子もいますが、
パパラ宿に限ってはゆいの夢の力で戻ってきたアイドルたちですし、基本的に「いい子」のような気がします。
だからこそ、夢を奪った張本人であるパックにすら「大好き」と言えるアイドルたちが揃っていたのですね。

■ラストのゆめ目パンデミック
この項についてはさらっと語りたいところですが、
パックから夢を開放後、全人類(?)がゆめ目になってしまいます。
この表現、奪われた夢が持ち主に戻ったということで相違ないでしょうけど、
見た目がちょっと怖いです。

まぁ、にのちゃんやみちるなど、ゆめ目になる表現はすでにあり、その兆候はありましたけど、
あの大人数というのはギョッとしますね。しかし、
見方を変えれば二年目の「全員エアリー」なども怖いシーンに見えなくもないですし、
夢を取り戻す=ゆめ目だとすれば、そもそもみんなゆめ目であることが正常とも言えますし、
一年目の「みんなプリズムボイス」同様、そんなに不思議なシーンとも思えませんでした。

ご老人も夢を取り戻し、例えばすでに亡くなった人もいるでしょうから、人によっては悲惨なのでは・・・って意見もありました。
しかし、あえてご老人を描写したのも、「いつ、どんなときだって、夢を持つことは素晴らしい」という表現だと思いました。
それはわたしのようなおっさんにも響きますし、どの世代にも伝えられるメッセージですよね。
ギャグのようでありながら、「夢」のメッセージを伝える・・・あのシーンは、
誤解を恐れずに言えばプリパラを象徴するシーンだったと言えます。

■プリパラと、プリチャンと、プリティーシリーズと
プリパラは一年おきにシステムや展開がリセットされているようなもので、
そのシーズンの最初の1話にあたる話は、いつも新規に優しい説明回のようになっていました。
アイドルタイムでは、大きな変化はありましたがまだ「プリパラ」の範疇で、
キャラも続投しましたし、プリリズ→プリパラのときのような大きな枠組みは変化しませんでした。

プリパラからプリチャンでは、それこそリズ→パラのときのような大きな変革があるのかと思いましたが、
今のところ見えている範囲では、それほど変化がない印象です。
当然、放送枠も変わりますしアニメのスタッフも変わりますから、
大きな変化であることは間違いないのですが、シリーズが変わるとそのあたりはおのずと変わったりする部分です。

このシリーズは筐体ゲームの内容が大きく関わってきますが、
プリチャンは題材が「youtuberアイドル」という設定であることが一番にして何よりの変化でしょう。
ゲーム筐体からは「プリチケ」や「キラチケ」が排出されるらしく、
そのあたりプリパラっぽい要素が残っているのはどうなんだろうと思いました。
売れたシステムを流用するのは商売上当然のことでしょうけど、
シリーズを跨ぐ(リズ→パラ)とアイテムが変わっていたプリティーシリーズとしては、
ゲームシステムがほぼ継続ということに違和感があります。このパキっと割れる革新的なカード(商品)を捨てる、
という判断も正しいとは言えないでしょうけど。
(アイカツのようにずっとカード、ということならまだしも)

また、プリティーシリーズはそのときの流行りを取り入れていますから、
フィギュアスケート、アイドルはいいとして、次の「youtuber」というのは少し不安があります。
わたしも特別嫌悪感があるわけじゃないですが、
「親が選ぶ子供になってほしくない職業」の上位になってしまうようなものが題材なのは、ちょっと気がかりです。
アイドルはまぁyoutuberよりは市民権があるでしょうし、いくら子供に人気とはいえ、
親世代からの風当たりの強い「youtuber」が題材なのは、人気や評判的な意味でも心配になります。

また、プリパラの特徴として「トモチケ交換」や「チームを結成してライブ」、「ランウェイ」、
「メイキングドラマ」、「サイリウムチェンジ」などがありました。映像の演出的にも、
物語の盛り上がりにも一役買っていて、それはアニメスタッフさんたちが、
それらの要素をうまく取り入れたからだと思っています。

プリチャンは、まだ詳しくないですが「やってみた」や「キラッとチャンス」とかいうシステムがあるようで、
これがゲームに搭載されているのはいいとして、アニメのストーリーに取り入れられるのか、
それを絡めた熱い展開、演出ができるのか、というのが目下の興味事ですね。
「やってみた」で、youtuberたちがやっている芸人まがいのことをやったりするのかな・・・。

また、幼児雑誌などでもプリチャンが特集され始めましたが、
「人気アイドルみらい(C)のJCコーデ」的な、プリリズのときなら通用したような原宿系オシャレ記事風なのが気になります。
そもそもyoutuber=アイドルという図式がわたしには疑問で、
だからこそコーデという概念が、単純に「プリパラからのシステムの使いまわし」に見えてしまったり、
プリズムストーンでアイドルの服を買う、というのもyoutuberと関係あるようには見えず、
プリパラという「テーマパークの入り口」だったプリパラ版プリズムストーンはまだしも、
youtubeで番組配信という意味なら、そもそもどこかへ外出するというのが違和感で、
プリティーシリーズの定番+youtuberという構図のミスマッチをひしひしと感じています。
しかしまぁ、こういう心配というのは実際の映像を見ると案外吹き飛んだりするものですし、
うまく関係性を構築してある可能性もあるので、一概に否定的というわけでもありません。

また、「み~んなトモダチ、み~んなアイドル」というキャッチフレーズを元に4年間突き進んだプリパラですが、
プリチャンは今のところ「わたしのチャンネルやってみた!」でしょうか。しかし、
プリパラには「誰でもパシャっとアイドルデビュー」というフレーズもありましたから、
プリチャンにも、もっとゲーム用ではなくアニメ用なテーマがあるのかもしれません。
ただ、どちらにせよプリパラのときとはテーマが変わりそうなので、
どのようなテーマとなり、それをどれだけ体現し、メッセージとして伝えていけるかは勝負所でしょう。

また、これくらいならどのアニメの新シリーズでも考えられる心配事なのですが、
プリパラはさらに特有の要素があったと思っています。それは、アニメ主導で公式として広まった要素がある、
ということです。プリチケを「パキる」という用語や、みれぃが1話から言い続け、
それが作品全体のマインドとなった「プリパラは好きぷり?」の精神、弁護士・検事コーデやクラゲコーデ、
のんちゃんのようなアニメからプレイアブル化したキャラクターなど、
アニメの影響力が強かった記憶があります。

チーム結成の儀式なども、本来ゲームなどにはなく、販促なども関係ないため、
特別なアイテム(グッズ、商品)などを使わない儀式ですが、しばしば「桃園の誓い」などとも言われ、
あの儀式がチーム結成の通過儀礼としてしっかり機能し、感動できるレベルまで仕上げているのは、
森脇さんたちプリパラスタッフだからこそできたことでしょう。

販促アニメなどでは、しばしばスポンサーの意向に振り回され、アニメがお粗末な出来になってしまうことがありますが、
プリパラはそのあたりの折り合いがついていて、うまく利用し、むしろアニメの内容もゲームに反映させるほどでした。
プリチャンにも、そのようなエネルギー溢れる作品になって欲しいですね。

「プリパラとは違うものを」と上から注文されたり、プリパラへの愛が強すぎるあまり、
ファンから怨嗟の声などが届いているかもしれませんが、わたしは新シリーズに激励のエールを送っていますし、
新シリーズは進化と挑戦のチャンスでもあります。
間違いなく追い風・・・というよりは逆境のような状況だと思いますが、
だからこそプリチャンには頑張ってもらいたいと思います。
プリパラの上手な立ち回りは、森脇さんというベテラン監督だからこそ、という感じを受けましたが、
プリチャンではどうなることやら・・・。

■追記・プリチャン1話放送!
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本来はプリチャン放送前にこの記事を投稿できている予定でしたが、それが間に合わなかったため、
プリチャン第一話の軽い感想・・・特に、上記の疑問についての回答がいくらかあったので、
それを挙げさせて頂こうと思います。

まず「プリチャンアイドルとは?」について。
「youtuber」と「アイドル」の図式に疑問がありましたが、めが姉ぇの説明を聞いていると、
「youtuber」的な人は一般人にもたくさんいて、しかしプリズムストーンが提唱する「プリ☆チャンアイドル」という人たちもいる、
ということではないでしょうか。「にじさんじ」や「コラボジャパン所属」というとわかる人もいるかもしれませんが、
プリチューバー(?)の一種で、なおかつかなりの人口・シェアを保有している人たちが、
「プリ☆チャンアイドル」のように見えました。

また、OP映像やアイキャッチ、ライブ前の演出など、「動画配信っぽさ」があり、その辺のこだわりはさすがと感じました。
プリズムストーンの価値や意義も、プリ☆チャンアイドルがいることでブランドやコーデ、グッズ販売等に意味が出てきますし、
「簡単に配信できる設備がある」というのは、色んなレンタル業がある世の中ですが、
「機材やスペースのレンタル業」といえば認識が近いのではないでしょうか。

ただ、その結果気になったのは、今までのシリーズでは存在した「プリズムワールド」的な空間や、
世界が存在しなさそう、ということです。プリズムストーンは豊富な機材などがあっても、その場で配信しているはずで、
プリズムワールド的な異空間に行っているようには見えませんでしたからね。強いていうなら、
配信している最中は、そういうバーチャル・ファンタジーな空間にいる、とか?

アニメで見えてきたテーマ、キャッチフレーズも「やってみなくちゃわからない!」だと感じ、
それはすごくいいテーマだと思えました。ただし、気になったのは「神アイドル」や「オーロラライジング」といった、
「最後のゴール」を暗示した大きな目標は掲げられていないこと、そして、
「ショウゴ」や「グロリア校長」、「べる様」といった、ライバルのような存在がいないことでしょうか。
いや、一応あんなが、最初の目標かつ壁なのかな。

みらいちゃんの流れ的に、まだ大きな目標はないと思いますが、ヒカキン的な、大物プリチューバーがいるとすれば、
それが目標となるのかもしれませんし、ならないかもしれません。あの白い人が、現状で一番の大物でしょうか。
赤ちゃんを泣き止ませた描写がありましたし、そのときは困り顔こそしていましたが、
困っている人は見過ごせない、「みんなを笑顔に」という子なのかも。

トモチケではなくフォロチケというのが出てきて、見た目上はトモチケと大差ありませんでしたが、
「普通のフォローじゃない、特別なフォロー。プリチャンアイドルをやる仲間同士」という定義が、
フォロチケの意味を教えてくれて、実にしっくりきました。もともと名刺交換っぽいとは思っていましたけど、
より「名刺」らしさが出た気がします。

これらの仕様変更により、同時に「一般視聴者」との壁のようなものを感じますが、
プリパラのように「み~んな」要素はそこまで推さないということでしょう。しかし、その方針転換があることで、
「お客さんをどう楽しませるか」という、よりプロに近い立場になった気がします。
それに、フォロチケ交換したいならプリチャンアイドルになればいいわけですし、
「わからなければやってみよう!」精神のもと、誰だってプリチャンアイドルになれる敷居の低さを考えると、
それほどフォロチケが非情なものとも思えません。

「フォロー1万人!」と、フォロー数が戦闘力のように語られるのも楽しいですね。
「いいね!」という単語はプリパラから継続して登場していましたが、プリパラでは投票の時くらいしか登場せず、
プリチャンの方がより現代に近い世界観・設定なので、「いいね!」という単語がマッチしてそうな気がします。

思ったより堅実で今後も楽しみですが、欲を言うと冒険が足りないというか、思ったより大人しい印象を受けました。
プリパラに毒され過ぎているのかもしれませんが、例えばプリパラ1話だって、
「プリパラは好きぷり?」という名言、口が悪いマスコットのクマ、語尾にぷり、
謎の存在ファララが「プリズムボイス・・・」とつぶやくなど、最初の1話で今後の一年や、
作品の方針が詰め込んでありました。

アイドルタイム1話も、ゆいちゃんのキャラクター性、ショウゴとの関係性や、
プリパラよりダンプリが人気な世界観など、様々な「説明」がテンポよく詰め込んであり、
そこはかとない狂気なギャグも楽しめました。

プリチャン1話でも、あんなという当面のライバル、白い謎の人は出てきましたが、
それ以外は基本的に世界観の紹介に留まっていた気がします。
プリパラと比べてしまうからか、ギャグがやっぱり足りなく感じてしまいます。
プリパラよりは対象年齢が高そうですし、なんとなくプリリズを彷彿とさせますから、
プリパラほどのギャグは期待できないかもしれません。

今後、どれくらい作品の個性を出し、アクセルをかけられるかが勝負だと感じましたね。
全体的に地味めだった分、みらいちゃんのキラースマイルや、本番直前で泣いてしまうえもちゃんは、
その中では目立った個性でしたけど。そこが狙いだった・・・?

あと気になるのは楽曲関連でしょうか。EDのわーすたはすっかりこのシリーズの常連として慣れた感がありますが、
今回から参加、かつ主役級となるランガ(略称で失礼)のOP曲は、
プリチャンのことをよくあらわしていたとはいえ、それがプリパラのときの「Make it」のような、
精神的支柱となるほどかと言われると、まだ疑問が残ります。
サビなど思ったよりはメロディアスで、アイドル然としない歌いあげるような感じは好みでしたが。

このシリーズは、楽曲にあとからエピソードなどで「思い入れ」を追加していくのが醍醐味ですし、
アイドルタイムではこの役目は「Believe My DREAM!」であったと思いますから、
後半にそういった楽曲が登場しないとも限りません。
どちらにせよ、今判断できるほどの材料はなく、判断することも早計でしょうから、
このあたりは気長に付き合って確認していこうかと思います。

■最後に
プリチャンのことを少し語ってしまいましたが、まずはプリパラに今までの感謝として「ありがとう」と、
「さよならだけど、さよならじゃない」という言葉を伝えたいです。
むしろプリパラ側から送られた言葉かもしれませんが、こちらからも同じ言葉を送りたいです。

途中でアイドルタイムというリニューアルを挟んだものの、ほぼ同じ世界観で4年間放送するという、
このご時世では信じられない快挙を達成しましたが、そういう記録的な偉業は関係なく、
4年間ずっと見ていたアニメが終わる、というのは、楽しみな習慣が一つ減ってしまうようなもので、
人によっては半身を失うようなショックがあるでしょう。

様々な笑いと感動と大切なメッセージを届けてもらい、楽しい時間を過ごさせてくれて、
最後まで付き合った人で「ありがとう」と言わない人はいないんじゃないかというくらい、
プリパラは愛されていましたし、プリパラを愛していました。
だからこそ、終了間際は非難轟々なところもあったり、ショックでプリチャンへ強く当たる人もいましたが、
わたしは「さよならだけど、さよならじゃない」という言葉を信じます。

その言葉は、今度上映される映画のことを言っているのかもしれませんが、
現状プリパラは「プリティーシリーズ」では一番の長寿作品となりましたし、
「プリティーシリーズ十周年」を達成する上ではかなり重要な立ち位置となりました。
そして十周年を達成したとき、またプリパラのキャラクター・・・とりわけ、
らぁらやゆいちゃんには再会できると信じています。

・・・ここだけの話、プリパラでは「プリティーシリーズ」なんて言葉はほとんど聞かず、
プリパラが予想外にヒットしたので、「じゃあリズと合算してシリーズってことにして、十周年目指そう」ってノリなのか、
プリチャンでは「プリティーシリーズ!」とやたらと聞く気がします。
好きな作品なのでそのように推してもらえるのは嬉しいのですが、
プリチャンに余計な重荷やプレッシャーを与えているようにも見えて、そこは少し心配です。
応援しているからこそ、今までのシリーズにとらわれない個性を見せて欲しいですね。
もちろん、「大切なメッセージを伝える」という部分には、今までのシリーズ同様、
真剣に取り組んで欲しいですが(ダブルスタンダード)。

というわけで、プリパラ・・・そしてアイドルタイムプリパラへのわたしなりの感謝と、
プリチャンへのエールでした。

要素を挙げていきたいと宣言しておきながら、冷静に分析できたか不安で、
乱雑に書きなぐってしまった感もありますが、とりあえず、これらが今の気持ちです。
いや、今の気持ちを50%も書けているかわかりませんが・・・取り留めもなくただ分量だけ増えていきそうなので、
これくらいにしておきます。

アニメが始まった頃から、あまり自分は成長できていませんが、それでも「頑張ろう」という活力は常にもらえていました。
終わったからといって喪失感に浸ることもなく、瞼を閉じればいつでも名シーンや名台詞が思い浮かびあがります。
そんな状態の自分が大好きで、そうさせてくれたプリパラが大好きです。
(物語はまだまだ続くエンドは、作品の終わり方としてわたしも理想だと思っており、プリパラはそうなっていました)

君に「ありがとう!」
「さよならだけど、さよならじゃない!」

※ニコニコ動画でのセレクションをリアルタイム視聴、タイムシフト視聴しましたが、
やはりアイドルタイムはボリューム満点故に、尺不足を感じましたね。マイドリ、過去キャラ、WITH、
ババリア、ミミ子、しゅうか、みあ、ファラガァラ、パック、GODアイドル、スーパーアイドルタイム、
エスコート・・・非常に盛りだくさんで、一年間だけなのにプリパラの1~3年くらいのボリュームすら感じられます。
もちろん、それまで積み上げたものがあるからこそのボリュームですし、
「一年で終わる」と最初から決まっていたからか、計画的にそれだけ盛り込んで進行できたのかもしれませんが、
それ故に唯一にして最大の敵は「尺」だったのかもしれません。むしろ、決められた尺に、
限界ギリギリ以上にぶちこんだ作品なのかもしれませんが。

ITPP_13.jpg
ゆいとらぁらの夢が繋がっているように、
プリチャンの夢も、プリパラの夢も、そしてプリティーリズムの夢も、
最終的な「何か」へ繋がっていると信じています。そして、そこできっとまたみんなに会えると。
泣いてるようにも見えるこのシーンは、ゆめ目パンデミック同様、
笑えるようで泣けるいいシーンだと思います。・・・アカン、まだ泣けてくる。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
そういえば、筐体では一応ずっと「プリズムボイス!」と言っていたみたいですが、
プリチャンではさすがに「プリズム〇〇」は完全に消滅しちゃうのかな・・・?
それはそれで寂しいな・・・。
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